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新興宗教2世が安倍元首相暗殺事件の真相が書いてあるらしい柴田哲孝著の「暗殺」を読んでみた

私はキリスト教系新興宗教エホバの証人の2世として育った。
2022年7月8日安倍元首相暗殺事件が起き、
その場で現行犯逮捕された山上徹也容疑者にも新興宗教2世の生い立ちがあり(エホバの証人ではない)、
犯行の動機として旧統一教会への恨みについて言及したことから、
事件以降、国内の新興宗教、特に新興宗教2世への関心が一気に高まることになった。
その日以降に起きたことは、
新興宗教2世として、
今までひっそりと息を殺すようにして生きてきた私にとって経験したことのない体験だった。
当然、かの事件や、かの事件で矢面に立たされることになった旧統一教会の動向には否応なく興味を持ち、注視してきた。
あの事件には不可解な点も多いとのことで、
陰謀論もよりどりみどり、収拾もつかない感じになっていた。
しかし今回、かの事件について一応筋の通る説明ができている、一応フィクションとして出版された作品がある、とある著名人がYouTubeで紹介しているのをたまたま目にした。
あの事件の「真相」だって!?
それほど興味をかきたてるトピックが、果たして世の中にあるだろうか。
それで私も新興宗教2世として、
誰が意図したものでもなかったとしても、あの事件以降、人生が変わった者として、読まなければならない、と慌てて本を手に入れた。
結論から言うと、まぁ、どうということもなかったのだが……(エホバの証人のえの字も出ないし)
考えたことなど感想描きましたが、
隙あらば自分語りみたいな、しょうもない内容です。
あまり読んでほしくないのですが(じゃあなんで公開してるんだよ笑)、ご興味ある方はどうぞ。


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あの日以降、新興宗教2世に起きた変化をふりかえる

世間一般と新興宗教2世

人の人生のことなので、
当然一概には言えないが、
新興宗教2世の幼少期とは重く辛い。
しかし「親が変な宗教をやってるせいで、
他の家庭とは違う変な苦痛を体験した子供」というのを、
「変な宗教をやってない家庭」の人が理解することは難しい。
統計を取ったわけではないが、
実際に子供時代に変な宗教のもとで心身を病んだので、大人になってから心身の不調を訴え、心療内科なり精神科なりにかかったとしても、医療者の側が困惑してしまい、治療が難航する、という話はよく耳にしていた。
例えていうと、恋愛の悩みを抱える人に「じゃあ別れれば?」と言ってしまうように、宗教の悩みを抱える人に「じゃあ親元を離れれば?」「じゃあ宗教やめれば?」という極論をいきなりぶつけてしまうと、患者は途方に暮れてしまう。
そうできないからこそ病んで、そうできない(と少なくとも当人が感じた)からこそ勇気を出して第三者的である医療を頼ったからだ。
こうして、新興宗教2世の生い立ちを犯行動機として述べる山上徹也容疑者が一国の元首相を殺害するまでは、
新興宗教2世に注目して、その精神的苦痛を理解しようとか、寄り添おうとした人は世の中にいなかった。
(もちろん少数おられたことは存じております)
そもそもそれまで世の中からは、
まったく理解できない存在として、
認知もされていなかった。
だから、世の中に理解されない痛みを持つ人間として、世間の隅で小さくなっていることしかできなかった。
それがどうだ。
事件以降、当然のこととして
「元首相を暗殺するほどの強い動機を容疑者にもたらした新興宗教での生い立ちとはどのようなものだったか」世間の皆がいっせいに知りたがった。
そこでようやく、
それまで誰も聞きたがらなかった、
心理・精神領域に詳しい医療者でさえ「ある」ことを知らなかった、
新興宗教2世の精神的苦痛について、
世間から、話すよう求められているように感じた。
これまで誰からも理解されないとひた隠しにしてきた、
自分の苦痛の源について、
世間の側からスポットライトが当てられる。
人生にこんなことが起きるとは。
事件後、山上徹也容疑者に手紙を書く新興宗教2世が後を絶たなかったという。
その気持ちも、私はよくわかる。
私も書いた。
出さない手紙を、頭の中で。

宗教側の反応があまりに杜撰で洗脳が解けた

安倍元首相暗殺事件以降に矢面に立たされることになったのは旧統一教会であり、
私の育ったエホバの証人ではない。
なので元旧統一教会信者である山上徹也容疑者による安倍元首相暗殺事件があったとしても、エホバの証人には影響が出るはずはなかった。
しかし山上徹也容疑者の統一教会内での不遇が明るみに出るにつけ、
体験だけ見れば山上徹也容疑者の生い立ち以上の虐待が家庭内で行われていたらしいキリスト教系新興宗教として、エホバの証人が注目されることになった。
もちろん、
エホバの証人の2世たる私の幼少期の苦痛が、
山上徹也容疑者の抱えた苦痛より強いなどとは思っていない。
実際、エホバの証人は統一教会と違い、信者に金銭の要求はほとんどしない。(するが、統一教会のように脅迫はしない。そのため統一教会ほど多額の寄付をする信者はいない)
ただ、私も記憶が曖昧だが、Xなどをみている限り、統一教会ではなくなぜかエホバの証人までもが注目されるようになったのに以下のような過程を辿っているように見えた。

現行犯逮捕された山上容疑者が犯行動機として統一教会への恨みについて言及

統一教会の闇に世間の関心が集まる

山上容疑者と同じ立場だった統一教会2世からの告発が相次ぐ(小川さゆりさんなどが有名だ)

「宗教2世」という言葉・概念が幼少期に虐待を受けた集団として初めて世間に認識される

「宗教2世」と「幼少期に(宗教が理由で)虐待を受けた子供」がニアリーイコールとして認知されたことにより、
過去「宗教2世」というカテゴリーに属したことがあった人々が、自分の幼少期の苦痛が宗教に由来したものであったということを(うすうすはわかっていたが世の中の承認を経てようやく)自覚・自認し、
発信する(できる)ようになった

Xでは宗教2世アカウントがたくさん生まれ、
おのおのが辛かったことを中心にエピソードを語り、多くの人の目に触れた

マスコミもこぞって宗教2世のエピソードを取り上げた

その中で特に元信者からの告発が多かったのが、
エホバの証人だった(エビデンスなし)

こういう流れをたどったので、
旧統一教会ではなく、
私の育ったエホバの証人にも、注目が集まったと認識している。
特に、エホバの証人には特徴的な子供への輸血拒否や、子供への鞭(体罰)の苛烈さ、教義の遵守を子供にも強硬に要求する姿勢があるが、
それらは現代日本の一般的な感覚からするとどう考えても「虐待」であり、
今、新しい言葉として定着しようとしている「宗教2世」という言葉のニュアンスを裏付ける根拠としてぴったりだった。
我々国民国家において二度も首相を務めた政府要人を白昼堂々暗殺する、などと大それた動機を抱かせるに至った悲惨な幼少期を過ごさせた原因になった問題ある「新興宗教」のイメージ通りの宗教だったことが、統一教会だけでなくなぜかエホバの証人までもが炎上した理由なのではないだろうか。(要検証)
(いや、書くのも恐ろしいが、この柴田哲孝著の暗殺を読んだ後では、何者かが統一教会のスケープゴートとなるよう祀り上げた可能性もあるとは思う。)
どのような理由があってエホバの証人が炎上したかはともかく、
こうして世間の耳目を集めた時のエホバの証人側の挙動が、本当にお粗末としか言いようがない対応だったことが、中にいた者としてこれまでこの宗教を真の宗教と信じてきた私にとっての、大事件になった。
エホバの証人がこの時の世間からの追求を受けて初めてメディアからの質問に答えた内容が、
同年10月下旬の毎日新聞の記事に掲載されたと記憶している。
そこではエホバの証人は子供を虐待しているのか?と質問され、
「虐待をした親がいたのなら残念だ(私たちは子供を叩いて躾けるよう当然教えてはいない)」と返していた。
それが、私には衝撃だった。
いや、はっきり教えてましたよね……
どんなに落ち込んでいても、この時感じた怒りを思い出すと元気になる。
そのくらい、宗教的な正義感もクソもない、完全な嘘だった。
場当たり的な逃げ口上であることは言うまでもないし、組織の教えを忠実に守っていた当時の親を「残念」と言って切り捨てている。
こんな悪辣な返答を本当にエホバの証人側が返したのか?
にわかに信じられなかったが、その記事に対する釈明も、記事に対する抗議も、私の知る限りエホバの証人は出してこなかった。
それ以後も、「宗教2世」というワードに引き続いて「宗教虐待」などといったワードも生まれた。
エホバの証人も、こども家庭庁など政府機関ともやりとりをすることになったようだ。
その一連のやりとりやそれ以降のエホバの証人の側の挙動を見ていて感じたことなのだが、
たぶん、
過去の組織的な虐待の関与を認めてしまったら、
とんでもない人数にとんでもない額の損害賠償を払わなければならなくなるかもしれないので、
それをなんとしても避けたいのだと思う。
今でも、過去数十年にわたってなぜか日本のエホバの証人の間で流行していたスパルタクス的な教育方針によって育てられた影響によって、大人になってからも心身の不調を訴える人は多い。
私もそうだ。
それに対して当のエホバの証人はというと、
今になって責任を追及されて恐怖におびえ、「嘘をついてはならない」というようなキリスト教徒でなくても守っているような基本的なモラルを簡単に冒し、逃げ切る姿勢を見せている。
そのような臆病者の施すスパルタ教育を「正しい者のする正しいこと」として受け入れ我慢してきた、私の幼少期はどうなるのか。
長くなってしまい恐縮だが、
私がこれまで宗教に対して抱いていた信頼が、
山上容疑者の犯行によって芋づる式に吊し上げられ、世間から注目されることになったエホバの証人側の対応を見て粉々に砕かれた。
そういう、ごく個人的な話だ。

怒りは「資産」だと思った話

自分の話ばっかりしたが、
つまり私はこの本から山上徹也容疑者の高尚な動機がうかがえることを望んでいたのではないか、と読みながら気がついた。
この事件以降、宗教2世たちは自分の生い立ちの現実に向き合い易くなった。(諸説ある)
私もそうだ。
でももちろん、本書によると山上徹也……じゃなくて上沼裕也に、「宗教2世を救いたい」という動機は特にないようだった。そりゃそうだ。
それどころか、この本には
「正しいこと(良いこと)をしよう」
という熱意にあふれた人間がどこにも出てこない。
それこそ敵にも味方にも、暗殺事件の黒幕の人々にも、右翼の人にも、統一教会の人にも、山上徹也……じゃない上沼裕也にも、安倍派……じゃなくて田布施派にも、政治家にも、
等しくどこにもいない。
いるとしたら、真実を追いかけたジャーナリストの一ノ瀬がかろうじてそうか。
こんな風になりたい、と思える人物に出会えない読書とは心細いものだ、と思いながら読んだくらいだ。
とはいえ、
この本に書かれている内容を一部でも「真実」と捉えるのは危険なことなのかもしれないが、
(陰謀論を一部信じることになるという意味)
せっかく読んだので、
自分には何の関係もない事件の「真実」が一部書かれていたとするなら、
単独の実行犯として知られる山上徹也……じゃなくて上沼裕也の「怒り」が、
珍しい入手困難な「銃弾」のようなものとして、
暗殺の謀略を巡らせる者に目を付けられるくだりが印象に残った。
ここに書いて何か問題になったら怖いが、
私にも、幼少期の宗教による不当な圧迫と、
それによって生じた今なお続く不具合をどうにかできるなら、人の一人くらい殺してやってもいい、くらいのエネルギーがある。
そのくらいしないと何も変わらないなら、
やってやろうか、みたいな気持ちになることがある。
そのくらい、自分の人生を「台無しにされた」という怒りと悲しみが強い。
でも、私と同じではなくとも「宗教2世」の生い立ちを抱えて(この本の示す真相は無視するとして)安倍元首相を暗殺した山上徹也容疑者は、
これで幸せになったのか?
人として歩むべき道を歩けたか?
私がこれから生きるべき人生を指し示しているか?
私の憧れるべき生き様か?
そう考えると、かろうじて冷静さを取り戻せる気がした。
どれだけ間違った宗教があったとしても、
誰か人を殺してそれを正そうとするとは、
どう考えても筋が通らない。
とはいえ、宗教に破壊された人生に「こう生きたい」という希望が容易に湧くものでもない。
だからといって、この珍しい「怒り」を、この特殊な「弾丸」を、誰かに利用させてもならないな、と。
そういうようなことを考えながら読んだ。

ホムセンの材料で作れる!おうちで銃をDIY!のコーナー

この本の珍しい点として、
銃に対する知見の深さが挙げられると思う。
銃の所持が違法とされる日本において、
「銃」とはあまり身近でないアイテムだ。
私も触れたことはない。
とはいえ、銃社会を生きる人も他国には多いわけだし、
悲しいことだが今も戦争は続いている。
すなわち、世界的に見れば銃とは人間にとって身近な道具であり、
それゆえに、私たち日本人にとっての「家電」くらいのスピードと同様に「銃」も「銃弾」も進化しているらしいということがよくわかり、興味深かった。
また、不謹慎かもしれないし「私にも怒りがある!」とか書いた後では物騒にきこえるかもしれないが笑
上沼裕也がホームセンターを巡って材料を買い集めながら銃を作ってきく過程は面白くてワクワクしながら読んだ。(ホームセンター大好き❤️)
私も作ってみたい!と思ったが、
自衛隊卒程度の銃の知識が必要とのことなので、
ご安心いただきたい。
それと私はおっちょこちょいかつ適当なところがあるので、製造の過程で暴発したら怪我どころか普通に死ぬかも、みたいのも怖すぎると思った。
頭良くて器用な人じゃないとできないとしたら、
私には無理だろう。

私の人生の目標

宗教の教えを最近まで守っていたこともあり、
今年40になったが、恋愛もせず処女のまま生きてきた。
結婚もせず、妊娠も出産もしない人生を生きることになったのは不本意で、最初からそうすると決意していたわけではなかったし、そうしたかったわけでもなかった。
とはいえ、宗教に支配された半生を振り返るに、
もう誰かから何かを指示されるのはまっぴらごめんだ、という気持ちが今は強くある。
私は一人暮らしをしているが、
たまに実家に帰るとトイレや風呂を待たなければならないなど、それに驚愕すると同時に非常な苦痛を感じる。笑
もう、誰かに何かを譲ったり合わせたりすることが難しくなっていると思う。
もちろん電車では妊婦さんに席を譲るが。
他人が生活に入り込むのは、もう許せない気がする。
(ハムスターは可)
そして一つ前の項でも書いたような、
私の「怒り」のエネルギーも、私のために、少なくとも何か良いことのために使いたい。山上容疑者みたいにではなく。まだ、使い所は分からないが
結婚も出産もせず、家族を持たない生き方というのは不本意だが、このような人生を強いられた自分にとって、どこか本質的に望んでいる生き方のような気もする。
もう誰からも何も指図されたくないのだ。
誰にも、私を利用して益を得させたくない。
とはいっても、職場の雇用主には、利益をもたらしたいとは思っているが。
タイムカードを押している間に限って。
話はそれたが、
もし、この本に書かれていた陰謀論が真実だとして、本当に、誰も、私の人生に興味がないんだなとつくづく思った。
たくさんの法案を意欲をもって通した安倍……じゃなくて田布施も、日本の尊厳を守りたいと願った右翼の高野も、政治と癒着する旧統一教会も、誰も私のような小市民がそれでどうなるのか?どういう影響を受けるのか?考えないし意にも介さない。
それは私の育ったエホバの証人の組織もそうだ。
上層部はいろいろな事を決めたり言ったりするが、
それは別に私の生活を良くするためでもなければ、
私の人生に害が及ぶ可能性を想像して翻意することもない。
どうなってもいいのだと思う。
自分以外の弱者がどうなろうと。
権力のない者は、
権力のある者の意志にいつもつきあわされる。
本書を読んでいるとそういうクサクサした気分になる。
でも、だからこそ。
自分の身は自分で守れ、ということでもあるのだろう。
政府も、宗教の指導者も、アジアの小娘1人がどうなろうと止まらないし、どうなるのかなんて考えもしない。
私は私にしか守れないのだから、
政府や宗教の指導者にとってトコトン面倒くさい人間になったとて、私は私を守る。
そのような権力者の影響を受けるとしても、
少なくともそのことには気づいていたい。
もう誰にも侵害させやしない、お前の好きに生きさせてやるからな、と自分に対する決意を新たにした。

SFみたいな世の中で

「中国の生物兵器の製造工場から危険なウイルスが漏れ、世界中は大パニックに陥り、旅行は禁止され、都市はロックダウンし、各国の経済も大ダメージを受ける」などという話を、
コロナウイルスが流行る前の世界の誰に言っても信じないだろう。
しかしそんなSFみたいなことが実際に起きた。
(中国の話は嘘かもしれない)
そういう意味で、陰謀論のようなSFみたいな話を笑い飛ばせない世の中に生きているのだということを、コロナウイルスのパンデミックは私たちに思い知らせた。
そういう意味で、2022年7月8日の安倍元首相暗殺事件にも、驚くべき背景が、ないとも言い切れない。
今は平和な法治国家で安全に暮らしている、というのはただの自分の思い込みで、
本当は今も武士のおさめる社会のように、
権力に逆らう者を物理的に排除する(暗殺したりして)技法はまだ全然取られているのかもしれない。
と、いうことや。
私のような小市民が突然経験する、意味不明な増税や政策には政府の側にそれなりの理由があるのかも、
ということに気づかせてくれる……と言ってしまうと陰謀論を受け入れたことになっちゃうかもしれないが、
そういう可能性があることを教えてくれる、
そんな本だと思った。
怖い内容だけど、
ご興味ある方はぜひ読んでみてください。

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