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性格の悪さが試される趣味
突然だが、読書を趣味としている方々に問いたい。あなたはいま飽和状態にある書店、ないし図書館において本を選ぶ時、なにを基準として選び、なにに惹かれてその一冊を選んだのか。
持論ではあるが、読みたいものを探している時は、選ぶ側が抱える「コンプレックス」が無意識にその一冊へと導いていると考える。例えるならば、抱え込んだイヤなものの中で特に、リアルタイムに突出して「こいつさえ解決すれば」という悩みと興味がある。自分のなかで例を挙げるならば、それは人間関係の進化過程と、現代における「美」の価値観と食の因果関係、そしてなによりも肝心要である執筆進捗ダメです、だ。だからこそ自分は「BUTTER(著:柚木麻子)」という一冊を選び、導かれたのだと思う。
この本を読み始めてまず始めに思った事がある。正直な事を言ってしまうと語弊を招くかもしれないし、批判になりかねない。だが、それらしい言い回しが出来るほど器用ではないので、単刀直入に申し上げようと思う。
この本は、人がイヤがることを網羅した上で、言葉という刃物を使って指先をチクチクと刺してきて、しかも小さなささくれを作り続ける「嫌がらせの秀才」だ。いわば、痛いところを突いてくるようで痒いところに手が届く一冊なのではないかと思っている。
読書を趣味にしているとこういったことはあるある現象なのではないだろうか。
「読んでいたら気分が悪くなった。」
仮定として、いまそう至ってしまったとする。その場合、じゃあやめるやめないという二極的な結論が出るまでには個人差があるだろう。そこに退く潔さと嫌悪感がプラスされたらば、行動までに時間を要さない。だが、それでも何故か分からないけどやめられないとか、気付いたら読了していたとか。そういうクセに知らずと夢中になっていたり、中毒になっていたり。もはや順繰り巡って、あの時は読むのをやめたけど急に読みたくなったから読み始めたとか。そして具合が悪くなったとか。
その一冊に対する関心というのはかなり複雑なものであり、一概にこうだといえるテンプレートは無いのである。伸るか反るかでも進むか退くかでもない。一周回って好きという場合もある。これぞまさしく「コンプレックス」なるものではないだろうか。
価値観を読み解くという試みは、いついかなる時も立体視せざるを得ないデッサンの連続なのである。
心当たりがあるから、人に言われた言葉が気になった。図星だったからついつい噛み付いてしまった。そういう心理的機能にも繋がった結果が「その本でした」という答えであり理由なのかもしれない。
好きだから選んだという単純明快な理由ならば、ああそうなんですか、と引き下がれる。だが、そこで「何となく惹かれたから」という答えが返ってきたらば、その反応を待ってましたと腰を上げて前のめりになってしまうのが自分の本質だ。つまり、自分はそこで「この人が抱えている隠された暗がりを覗いて見たい」と胸が躍る訳である。(念のために言い訳をしておくと、そうするのはその人の言質をとりたいとか弱味を握りたいという理由ゆえではない。単純な好奇心である。)
自分は文章を書く趣味を嗜んでいるのだが、過去の作品を読み返すと当時の心理状況が伺えるので、一種の日記帳でもあるのではないかと思う。事実、その時に悩んでいる事や感じた事、思っている事。つまり、インプットしている時に溜め込んだツボの中身が溢れた時に、溢れた分だけアウトプットしているのだ。だからこそ、その本、その作品を選んだ切っ掛けが気になるのだと思う。そこに投影するなにかがその人の中にあったのではないかと期待をしてしまうのだ。
俺は果たしてこの一冊を無事読了する事が出来るのだろうか。たった30ページ足らずしか読み進めていないのに不安しかないのは、現に五臓六腑が悲鳴を上げて体調を崩しかけているからだ。なにもそこまで無理して読まなくても、趣味なんだし。そう言われたら身も蓋もないのだが、具合が悪くなる自分の深層心理が知りたくて堪らないので、いまのところ試合に例えるなら「これからも自分を虐め抜きたいチーム」が優勢である。
そもそも執筆が滞っているから先人の卓越な腕をもぎに来たと言うのに試合開始早々へこたれるとは元も子もないのも事実なのだが。…こういう時に自分の単細胞さを痛感する。四角四面の馬鹿者だ。
それでは本日はこのあたりで失礼します。