私は身バレが怖い
日々こうして
noteを書き綴るにあたって
もしも、
もしも私の投稿を読んでくれる方がいるのであるならば
現在どのような生活をしている人間が投稿しているのだろう
という疑問を抱いてくれる人もいるかもしれない。
そんな風に興味を持ってもらえるということは大変恐縮であり喜ばしいことだ。
しかしながら、
私は誰にも言えない
一般的に、そして常識的に
本来普通に生きていれば決して経験することはないだろう過去がある。
何が言いたいかというと
「身バレ」
が怖いという事。
私だけの問題ならまだしも
私には両親がいて、
両親もそのことは知っているし
それに関して大変迷惑をかけた。
ここまで書くと
きっとこの記事を読んでくれた方のハードルはグッとあがり
いざ、その時の出来事を記した時
「なんだ、そんな事か。」
と軽く受け流してくれる、そんなことを期待して前置きしておいた。
もう少し生きてみて、
苦楽を書き記し、
そして
あの時の事を書こうと思う時が来るだろう。
このnote記事は
X(元Twitter)にも連携させて
そちらにもリンクが上がるようしているのだが
Xの匿名性が一番心配で
投稿したり、Xを開いた際に
「アドレス帳との同期」
に関して、ちょくちょくお伺いを立ててくる。
うっかりミスらないように
慎重にお断りしているのだが、
やはり、万が一、
何かしらにきっかけで私の知り合いに
私のXやnoteの存在がばれてしまうことを大きく懸念している。
ネットの匿名性に関しては
現在、様々なメディアで
簡単に投稿者の個人情報が特定してしまうリスクを警告しているのでなおさらだ。
ただ、
私という人間が歩んできた人生を自叙伝的に綴っていくうちに
または、日々生き延びる中で起きた事件を書き記していくうちに
私という人間が必ずどのような人間か分かってくるだろうと思う。
すでに過去の投稿で、
陰キャでコミュ障であることは露呈している。
しかしながら、私がそんな自分の中に籠る人間になったのは
産声をあげてこの世に生を受けた瞬間からでは決してない。
これは次回にでもお話しようと思うが、簡単に説明しておくと
高校入学時、とある光景を目にしてからだ。
さらに加えると、中学3年時に友に裏切られたことも私の心の中のどこかでトリガーに指をかけるところまでに至ったんだと思う。
「友に裏切られる」なんて言葉は小説やアニメ以外で使うことがあるんだと思っていたが、実際に友に裏切られた。
以上、あまり脈略のない内容となってしまったけれど、
次回は私が
「陰キャ」や「コミュ障」になった瞬間の話でも綴ろうと思う。
いやぁ。。。
長くなるかもなぁ。。。。