🟢序詞・ふはりと生きる:短歌
午睡する蛙の上を吹く風のふはりと生きるすべはあらぬか
「ふはり」は現代仮名遣いで書けば「ふわり」、「午睡」は昼寝です。
歌の意味は
昼寝をしている蛙の上を撫でていく風のように、そんなふうにふわりと生きる方法はないのか
くらいになるでしょうか。
国語の授業のようになってしまいますが、「午睡する蛙の上を吹く風」と「生きるすべ」は本来は無関係なのですが、それを比喩の意味を持つ格助詞「の」が「〜のように」という形でつなげていることになります。
まどろっこしいかもしれませんが、「ふはりと生きるすべはあらぬか」の「ふはり」を導くために、その前の「午睡する蛙の上を吹く風の」が「序」として置かれているのであって、これを和歌の修辞では「序詞」と言っています。
序詞にはいくつかのパターンがありますが、こんなふうに格助詞の比喩の「の」を使ってイメージを結びつける代表のような歌が次の歌です。
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む
この歌も「山鳥の尾が長いように、長い長い夜を一人で寝るのだろうか」と「山鳥の尾の長さ」と「独寝の夜の長さ」が格助詞の「の」で重ねられているわけです。
僕は最近、序詞を面白いと思って、よく序詞を使った歌を作ってみます。例えばこんな歌です。
・広重の雨 その明確な直線の 鋭く鬱は さし迫りにき
・夕暮れの奏でる紺のメロディの生きることは悲しみ
・ことことと ことことと煮る里芋の あったかい夜のようだな 君は
三つ目の歌は比喩が二重になってしまっていますが、なんだかよくわからないこんな歌も歌の中の「の」を「〜のように」と置いてみると、意味は見えやすくなると思います。
ただ、授業で、あるいは生徒が和歌を読んでいて、なかなか序詞は理解しにくいようです。心情を一生懸命読み取ろうとする時に、歌の中にそれとは「関係のないイメージ」が挿入されていると感じるからでしょう。
心情に結ばれる別のイメージを万葉の人たちがどう発想していたか僕には分かりませんが、自然の景物が先に置かれ、その後に自分の気持ちが置かれることが多く、そもそも序詞は歌の中心である心情を導くために、そこに用いられている「語」を誘導してくるものだと考えられるので、生徒には、「中心の心情がまず先にあって、その後に「序」となるイメージが付けられたと考えると分かりやすいのでは」と教えることにしています。
「のんびり生きたいね・・」
と言うと、生徒は
「いや、別に『ふはり』と生きたいとは思っていない」
と言ってくれます。
その時点で、まさしく僕は
「ふはりと生きるすべはあらぬか」と思ってしまうのでありました。
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