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第247話:あたりとおまけ
子どもの頃、当り付きのお菓子があって、よく買った。
オレンジマーブルガムとか、うろ覚えだがペプシコーラとかチェリオみたいなジュースの王冠の裏にも当りがあって、当るともう1個もらえた。
それはそれは楽しみだった。
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記憶をたどればいくらでも出てきそうな気もするが、ホームランバーも懐かしい。食べ終えたアイスの棒に「ホームラン」とあればそのまま一本、「ヒット」なら5本(たぶん)集めれば一本がもらえた。
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でも、何と言っても、その類の王様はチョコボールだっただろう。
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チョコボールは金のエンゼル(ん?僕らは子どもの頃、『金のくちばし』と言ってたような気もする)1枚、あるいは銀のエンゼル5枚で、おもちゃの缶詰がもらえた。
銀のエンゼルを集めてもらったこともあったが、一度だけ金のエンゼルが当ったことがあって、それはそれは嬉しかった。
中にどんなものが入っていたかも覚えていないのだが、「当る」ということがドキドキ。おまけに、それを封筒で郵送すると、郵便で缶詰が送られてきたので、それがまたドキドキ。郵便屋さんのバイクの音とともにポストに駆け寄って見た。
「おまけ」もドキドキした。
「おまけ」がついているとつい買いたくなってしまう。
今にして思えばたいしたものではなかったが、グリコのキャラメルについていたおまけ、カルビーの仮面ライダースナック、プロ野球スナックのカード、何が出て来るんだろうとドキドキした。
小学生の頃、「科学」と「学習」という雑誌が学校で売られていたが、それも雑誌そのものより、その付録を楽しみにしていた。
結婚してからも結構高額なクラッシックのCD60枚組のセットを、それほど欲しいわけでもなかったが、「買えばCDプレイヤーが付いて来る」と言われて衝動買いしカミさんに怒られた。
かくして「当たり」と「おまけ」は僕を誘惑する。さらに、目の前に「ニンジン」をぶらさげられるのにも僕は弱い。
今はもう全く行かなくなったが、子どもがまだ小さかった頃、休日で外出したときマクドナルドに立ち寄ることも多かった。
ある時期、これもうろ覚えだが、代金に応じてスタンプが押され、それを集めるとビッグマックのぬいぐるみが貰えるということで、これにハマった。見事にマクドナルドの戦略にひっかかったということになる。
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出かけるたびに何度も通い、やっとのことでこれを手に入れた。
が・・、
手に入れた瞬間にもう興味を失ってしまった。猛烈にアタックし、手に入れた途端に六条御息所を捨ててしまった光源氏のようである。埃をかぶってしばらく部屋にあったが、今は押入れの奥深くに仕舞われて日の目を見ない。(ちなみに上の画像を検索していたらアマゾンでこれが8000円程度で売られたいたぞ。)
恐らく宝くじを買い続ける心理の原型がそこにある。
「金目当て」と言われればそれまでだが、ひょっとしたら「何かドキドキしていたいんだ」と言い換えたらそれも当たっていないだろうか。「非日常」とそこに迫る「時間」を愉しみたい欲望みたいに言ったら、自分の愚かな欲望も少しは減罪されるかもしれない。
さて、金田一春彦氏のエッセイの中に、試験に受かることを「アタル」という地域があると書かれていた。
奇抜なのは、試験に「アタル」という言い方で、北関東から南奥羽地方にかけては「あんたんとこのむすこさん、エバラギ大学にアタッたそうで、おめでとう」などという。聞いていると、試験も宝くじも同じようなものだ。もっとも、学校によっては、ガラガラと抽選で合格者を決めているから、これではいれば、まさに「アタル」わけではある。
本当に抽選で合格者を決める学校があるかは知らない。でも、受験もそう考えれば「未知」に向かう「時間」をドキドキすることなのであろう。
無用な飛躍をすれば、人生も死ぬまでの「時間」を「ドキドキしていたい」だけのものかもしれない。
仮に、その成否は、「アタル」か否かだと考えてみると、案外、もっと軽々と生きられるのかもしれない。
・・まあ、おバカな発想だろうが。
■土竜のひとりごと:第247話