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第229話:豚は武器を持たない

土日は部活(テニス)のインターハイの県予選だった。

土曜は雨の中、びしゃびしゃになりながらの試合。10時過ぎに土砂降りになり1時間弱の中断。コロナ禍だというのに、ごった返しの会場では避難場所もなく、傘をさして立ったまま待機。

仙台育英高校の須江監督の「青春って、すごく密」ではないが、これって「確実に」って感じである。

やっと再開した試合の最中に再び土砂降りの雨で再中断。靴の中はぐちょぐちょ。それでも一回戦だけは何としても終えたいという主催者の意向で、30分ほどして再開。でも、結局2回戦以降は一週間後に延期となった。

今はオムニコート(人工芝のコート)なので、雨でもとにかく集合し、雨の合間を縫っても試合を進めるのが普通になった。
何年か前には、雨の中、朝集合し、そのままひどい降りで何も試合が出来ぬまま、お昼に解散、などということもあった。

便利になれば必ずそれにまつわる不便が生まれるということになるのかもしれない。雨に濡れながら「もういいよ。今日は諦めようよ」と思ってしまう。昔はクレーコート(土のコート)しかなかったから、雨が降れば「仕方がない」と諦めがついたのだが、諦めを許してくれない。



豚でもない(ん?「とんでもない」をダジャレてみた)飛躍と思われるかもしれないが、「晴耕雨読」という言葉が文明の進歩(人工芝)によって、失われつつあるということになるかもしれない(笑)と、雨に打たれながら思ってみた。

(川柳):豚だって昼寝がしたい雨の午後

翌日の日曜日は、打って変わって、初夏の陽が照り付ける「暑さ」。
この寒暖差が老体にはこたえる。
この歳で休みもなく生計維持のために必死に働かざるを得ないのは、若い頃必死で働けばあとは何とかなるという「安心の崩壊」だろう。医療の進歩が生んだ長寿社会(高齢化社会)の「寿」の喪失という逆説?

(川柳):豚だって真珠が欲しいと思ってる

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とんでもない飛躍で申し訳ないが、便利さの陰に不便が潜み、明るい灯の陰には必ず影がある・・そんなことを「裏のない表はない」と言ってみたい。
ネガとポジのように表裏は一体であって、僕らの生活の隅々にまで、実は「裏」が埋め込まれている。

例えば、よく生徒に(トロッコ問題ばりの)いや、かなり質の悪い質問を浴びせかけてみる。

・お金があって愛がない人より愛があってお金がない人と結婚したいよね?
・お父さんがボケちゃったら最後まで家で介護する?
・地域のつながりが大事って言うけど隣のオジサンを自分の結婚式に呼ぶ?
・結婚したばかりの夫の脳死、臓器移植、踏み切れる?
・ドナーカードに臓器提供の意思表示する?
・地震。火がそこまで迫る中、友達が柱に挟まれて助けを求めていたら?
・婚約した彼との今後がAIの診断で最悪だったら?
・胎児が難病や障害を抱えていることが分かったら?
・大好きな恋人に、君の裸を撮っておきたいと言われたら?

意地悪、かつかなり微妙な二択問題だが、自分たちがお金に依存していること、情報化社会、介護問題、地域共同体の再生、生命倫理の問題などなど、民主主義も資本主義も、科学の進歩も自由平等も「裏のない表はない」
そうしたことを単なる他人事でなく、自分に将来起こる可能性のある問題として感じてもらうために、あえてふざけた口調で投げかけてみる。

ただ、ロシアのウクライナ侵攻が始まった時、「祖国のために銃を持つ」という若者の力強い言葉を聞いたのだったが、
■祖国のために銃を持つか?
この質問をするのはためらわれた。
聞く勇気が今の僕にはない。ただ、この子たちを戦争に巻き込みたくない。

(川柳):豚は武器を決して持ったりはしない

豚に失礼な川柳かもしれないが、人間は見習うべきであろう。


■土竜のひとりごと:第229話

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