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第173話:卒業生へのメッセージ

卒業おめでとう

副担任がしゃしゃり出る幕でもありませんが、担任が言いそうにないことを、ひと言。
この一年、担任の先生はなかなか大変でした。3年の担任というのは実はとても大変なのです。物理的にも気が狂うほど大量の仕事があるし、君らの一生にかかわる精神的にもきつい仕事です。言うことをきかん奴もいますね。

先生はそんな気配を感じさせなかったかと思いますが、あらゆるデータをかき集めて君たちの可能性を考える毎日です。毎日がストレス。ひょっとしたらデートがあるかもしれない?のに、物理的にも精神的にもヘトヘト。

君らも勉強で大変だったでしょう。模試の結果にうなだれたり共通テスト後の進路変更に悩んだりしたでしょうが、先生も大変でした。自分の一言が君らの一生を左右するかもしれないからです。そんな担任に感謝してほしい。副担任からの願いです。

ついでのようになって申し訳ありませんが、お父さん、お母さんにも感謝してください。受験生を持つ親の心境は微妙で、何と言って励ませばいいか難しい。君らがピリピリしたり、落ち込んだりした時、どうにもできず黙って見守ってやるしかありません。

お金の工面もしなければなりません。塾に通わせるのも大変でした。君らを大学にやれば、1千万程のお金がかかります。君らが大学生活を謳歌している間、親は食うや食わずの節約生活です。今は甘えるしかないけれど、就職したら必ず初月給でプレゼントしてください。僕なら温泉旅行がいいですね。

とりわけお母さんは大変です。今日の夕食を何にするか考えなければなりません。君らのお弁当のメニューを考えるだけで大変。お弁当からの解放。実はこれはお母さんにとってバラ色の人生なのです。
そんな親を、君らは自分のアッシーに使っていたり、時には忘れ物を届けさせたり、時には罵ったりしたことを反省してください。

君らはひょっとしたら、自分一人の力で生きられるような気がしているかもしれませんが、そうではありません。
君らも勉強を頑張ってきました。目標に向かって努力することは大切なことです。でも、それとは質の違う努力、自分のためでもなく、目的もなく、ただ誰かのために頑張らずにはいられない、そんな努力があるのだと思います。

そしてそれは案外身近にあって、気づかないけれど、君たちはそれに支えられてきたことを感じてほしいと思います。
いつも「誰か」とつながっている。その認識は、君たちが孤独を感じ苦しい時の支えになってくれますし、ひとりで何でもできると思ったとき、その傲慢さを戒めてくれます。

君らは一人で生きているわけではない

それが君らに伝えたい第一のメッセージです。


君たちもこれからの人生の中で苦しいときに、きっとこんなふうに思うことがあるかもしれません。
なぜこんなに自分は大変なのか、なぜ頑張らなければいけないのかと。
くじけそうになった時は、自分ために頑張ってくれていた人がいたということを思い返してみて下さい。それは君らが、お父さんお母さんの子供として生まれ、この学校に来て、このクラスに集められ、自由な空気の中で、共にみんなで過ごしたことで得た、かけがえのない大きな財産だと僕には思えます。

と同時に僕は、努力に「何故か」を問うことは無意味かもしれないと思ってみたりもします。なぜなら、努力に理由などなく、生きることそのものが君たちに努力を要求しているからです。そう考えるといい。
少し、理屈っぽくなりますが、もし仮に努力に理由があるとすれば、努力することで、今とは違う世界に立ち「美しい風景」を見たいからだと言ってみたいと思います。(実に感動的な比喩表現ですね!)

「美しい風景」を見るためには、高いところに登らなければなりません。高いところに登るためには、汗をかいて自力で登らなければならなければなりません。それが「努力する」ということなのだと思います。
自分の人生に「高さ」を要求すれば、そこに当然ストレスが生まれてきます。

だから人は苦しい。でも、それは当然のこと。「高さ」を求めず、努力もストレスもない人生は、楽だけれど何もない人生です。
全く無意識に、その「高さ」を求めるカタマリみたいなものを内蔵していて、無償の努力ができる人。そういう人はいい。信頼できる。そういう努力は感謝を生むことができます。

愚かなことを言いますが、君らも結婚するとき、そういう相手を選ぶといいと思います。君らも恋をするでしょう。10年後には半分くらいの人は結婚しているでしょうか。子どもを抱いている人もいるかもしれませんね。
覚えておくといいと思うのですが、「恋」が感じるものであるのに対し「愛」は育み・創るものです。だから「愛」には努力が求められ、ストレスが伴うわけです。いいことばかりではありませんよ。

結婚なんて交通事故みたいなものです。
どういうきっかけで誰と結婚するか全く分かりません。必ずしも(僕のような)理想の人と巡り会えるわけでもありません。
でも、大切なのは、その巡り会った人と愛を「育む」ことです。君らのお父さんもお母さんもそうして生きてきました。帰ったら、お父さんお母さんに聞いてごらん。「お母さんはお父さんを愛してる?」って。絶対答えてくれないと思うけど実は愛してるんだぜ。

訳のわからない話になってきましたね。恋愛から強引に話を飛躍させますが、君たちは今、大学という恋人にラブレターを出し、その返事を待っている状態にあります。
OKをもらえる人もいれば、NOを突きつけられる人もいます。OKをもらったのが求める大学ではなかったという人もいるでしょう。でも、大事なのは、自分がこれから進むことになった大学で精一杯頑張ることなのです。

その大学が、君らが巡り会った「人」だからです。僕は、君たちが進む大学が、どんな有名大学であろうがなかろうが、そういうことに興味がありません。僕が願うのは、一緒に過ごした君らが将来幸せになってくれることだけです。

「幸せ」は「努力」してつかむものです。受験というのはその努力の練習みたいなものだと、ずっと受験生と付き合ってきて思います。
「高さ」を求めようとする努力と、身近にいる人の「思い」を感じられる力、それだけが、君らの将来の「幸せ」を約束します。それは真剣に努力した人にしかわからない。努力した人にだけ、本当の喜びや、本当の挫折が解ると言えるでしょう。

そして「幸せ」というやつは、受験の合否などという「具体」よりは、もっともっと先にある深いものなのです。
間違っても、大学の合否を「勝ち負け」とか「優劣」だなどと思わないでください。それは、とても寂しい生き方です。大学合格は「結果」ではなく、長い人生のひとつの「通過地点」に過ぎません。

「上」とか「下」とか、大学によって人生が定められるわけではありません。「住めば都」・・自分が身を置くことになった場所で、いかに努力し、自分を「育む」かが大切なのです。
登る山は自分の山であって。他人の山ではありません。その山の高みを必死で上りながら、時を刻み、結婚し子どもを育て、その時になって振り返ると、「努力」ということの「姿」も、ひょっとしたら変わって見えるかもしれません。

「誠実に努力する」ことが君らの人生を創る。

それが君らに伝えたいことの二つ目です。


鬱陶しいかもしれませんが、もう一つだけ言いたいことがあります。
今「誠実に努力する」と書きましたが、人生は実は「誠実に努力する」だけではダメなのです。
矛盾することを言うと思うかもしれませんが、豊かな人生を歩むために、しなやかに生きるために、ぜひ遊ばなければなりません。「遊べる精神」が大事なのです。

だから学生になったら、遊びなさい。
「言われなくても遊ぶよ」と思っているかもしれませんね。

僕は学生生活を「人生の夏休み」だと思っています。
小学生の時の夏休みを思い出してください。確かに宿題ができず、夏休み最後の日は辛い思いをした人も多いとは思いますが、開放感に包まれ、底なしに楽しくありませんでしたか?
でも、そういう経験の中で、生きて行く何かが知らぬ間に培われたのです。

学生生活も同じです。勿論、試験や課題もあるし、就職も気になります。でも、基本的には自由です。酒を飲んでも、誰にも叱られません。徹夜でマージャンをしようとも、漫画を一日中読みふけっても、部屋がゴミ箱のようであっても、誰も文句は言いません(勿論、週課題もありませんね!)。
この自由を謳歌すべきです。卒業生が遊びに来て大学生活よりも高校時代の方が楽しかったと言う人もいたりするのですが、僕は、それは間違っていると思います。

別に自堕落な生活や享楽的な「遊び」を勧めているわけではありません。
具体的に言えば、学問をしてください(勉強ではありません)。
研究や開発に没頭するのもいいでしょう。
本を読んで下さい。映画も観ましょう。
恋をして下さい(失恋は実に美しい経験です!)。
旅もいいでしょう。自転車で日本一周とか世界にどんどん出て行く事も大切です。
酒を飲んで、友達と大いに語り合って下さい。
ボランティア活動に参加するのもいいですね。
しようと思えば、何でもできる。

そういう経験が君らに「深み」を与えてくれます。
「遊ぶ」ことが「深み」につながる。それは君らに許された贅沢な時間なのです。

少しまた、理屈をこねてみますが、僕は最も「高い」生き方は、「抽象的な思索」にあると思っています。それは「遊ぶ精神」によって育まれるものだとも思っています。
わかりにくいでしょうか?

逆を考えると、分かりやすくなると思うのですが、僕らは具体的な状況を生きています。常に、今、やらなければいけないことがあり、明日までにやらなければいけないことがあり、数か月先まで見通してやらなければいけないことが設定されています。高校時代、週課題に追われ、テストに追われ、部活に追われて過ごしてきました。

怠けると怒られました。忙しい高校生活でしたね。君らに「今欲しいものは?」と聞くと、「自由」とか「睡眠時間」とか、そう答える人が圧倒的でした。
でもまだ甘いかもしれません。社会に出れば、それはもっと顕著に現れてきます。「報酬」を得るためには「結果」を出さなければいけないし、家族を守っていかなければなりません。自分の目の前の「具体」を追わないと、食べて行くことができません。

そう考えてみれば、学生生活はそういう「具体」に縛られることがない、少なくともそういう状態が非常に少ないと言えるでしょう。そういう時代は、人生の中に少ない。でも老後だって、もはや安閑と過ごせる時代ではなくなってきています。学生生活は「人生の夏休み」なのです。

「具体」に追われなくていい環境は「抽象的」な思考を可能にします。そこでは、純粋に「自分である」ことができます。そういう中で、何の打算もなく、自分や人生や社会の在り方を考える可能性が生まれてくるのです。

自分とは何か?
生きるとはどういうことか?
この社会は矛盾だらけではないか?
なぜ人は恋をするのか?
・・君らはそういうことを考えてきましたか?忙しすぎて考える余裕がなかったかもしれませんね。
でも、そういう「根本を問う姿勢」が人間にとってとても大切なのであって、それこそが豊かな精神の「抽象性」なのです。

これからみんなの歩んでいく社会、大きく言えば、世界はたくさんの問題を孕んでいます。感染症、高齢化社会、経済不安、世界情勢や温暖化の問題ものしかかって来るかと思います。
そんな中で、とても、自分が見失われやすい。ありのままの自分でいることがとても難しいかもしれない。

そうした中でも、明確に「自分である」ことを可能にするのは、「根本を問う」姿勢と、現実の一歩外側に立って見ようとする「抽象的な感性」なのです。その素地を作るのが学生生活です。大学は就職のためのステップではありません。

話を元に戻して、ごく簡単に言えば、世間的な価値など考えず、むしろ無駄と思われるようなことに、夢中になって没頭しなさいということです。意味とか結果とか効率とか目的とか具体とか、もっと俗っぽく言えば、お金とか地位とか数字とか成績とか、そういうものに縛られて生きるのはつまらない。

そういうものの対極にあるのが「遊び」なのです。
だから、「遊ぶ」ことを大事にしたい。僕は「真剣に怠ける」ことを理想としているのですが、その「怠ける」もこれと同じ意味になるでしょう。何の結果も生まない、何の現実的な価値にもとらわれない、そういう世界に自分を遊ばせて、その中で足を使って社会や世界を見、本を読んで知見を得、考え、悩み、感じることが君たちに本当の「豊かさ」を創ってくれます。

だから「誠実に怠ける」ことが大事だ。

それが最後に君らに伝えたいことです。


大変な高校時代でした。進路先も決まっていませんね。でもみんなよく頑張ってきました。よく笑い、よく悩み、よく食べ、そして今日を迎えました。充実した高校生活だったと思います。
1年間の短いお付き合いでしたが、明るいクラスで、変な人もたくさんいて、楽しく過ごせました。ありがとう。

みなさんに幸多かれと祈っています。

うまく合格が勝ち取れれば、ぐっと楽になりますね。
これを「GOOD LUCK」と言います。

そしたらぐっすり寝られますね。
これを「GOOD SLEEP」と言います。

君らに言うこれが最後の(素晴らしい)ギャグです。

バイバイ。元気でね。


■土竜のひとりごと:第173話

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