見出し画像

第194話:湯たんぽと猫

ここ数年、寄る年波に、夜はカミさんが湯たんぽを入れてくれるようになり、それに頼って寝ている。若い頃はどんなに冷たい布団に入ってもすぐに体温で温まったのに、いつしか靴下を履いて寝なければ寝られないようになり、もはや今は、湯たんぽがなければ眠れない状態にある。

湯たんぽは温かくていい。
が、酒を飲んで正体なく眠る僕は、湯たんぽにずっと足を置いていてもその熱さに体が反応せず、低温火傷になって病院通いをする羽目になったりもした。
そう言えば体に傷を発見しても、いつどこでつけたものやら分からぬことが多い。

冬の寒さも身にこたえるようになり、お風呂に入っても布団に入っても体の芯が温まらず、命の危機を感じながら、それでも終日寒風に吹かれてテニスコートにいる。冬もそうだが、真夏の炎天下での練習や試合が連続すると厳しいものがある。ここ数年はまた異常に暑い。

縁起でもないと思うかもしれないが、遠くにいる友人とか、お世話になった人とか、親しんでくれる教え子とか、会える時には無理をしてでも会っておかないともう会えないかもしれないなどと、結構本気で思ったりもするこのごろである。

体の機能で言えば、滑舌が悪くなり、僕の発する言葉が聞き取れないことが多いらしい。
このあいだも教え子と飲んでいて、そろそろ終わろうと店員を呼び、「おあいそ」と言ったのだが、店員はちょっと小首をかしげながらも一度離れ、しかしまた戻って来て、「すみませんが、さきほど『おおいそ』と注文されましたか?」と聞く。よほど聞きとりにくいらしい。

耳もまた良くない。
人間ドックでは左耳の聴力の衰えが必ず指摘される。授業で生徒を指名するとその声が聞き取れない。最近の生徒は声がまた小さい。
センター試験の問題演習をしていて「この答えは?」と聞くと、その生徒は「3」と答えているのに、「はい正解。1番です」などと言って周りの生徒を唖然とさせている。

頭の機能はますます衰えて、人の顔と名前はほとんど一致しない。カミさんと二人でテレビを見ていて、そこに例えば宮崎あおいが映っていて、でも、二人ともこの名前が思い浮かばない。
「この人は大河ドラマで篤姫やった・・う~ん」みたいな感じで、でも二日ぐらいたって、何でもないタイミングで「ああ、あれは宮崎あおいじゃないか」と思い出したりする。

何年か前には「森崎」という生徒の名前を「村崎」と思い込み、一年間それで通してしまった。「村崎」と呼んで相手もそれを全く否定しない。
年度末に職員室で彼女の担任と彼女の話をしたときに、「そんな生徒はいない」と言われてその間違いが発覚した。その生徒に確認すると「ああまあそんな気もしていました」と言う。どうせジジイだから仕方ないと思っていたのだろうか。

また、こんなこともあった。部活の最後に連絡事項を伝えようとして、毎日会っている副顧問の若い女の先生の名前を失念した。
なぜかそのとき、ふとその先生の下の「あさみ」という名前だけを思いつき、普段は姓でしか呼ばないのに、「○○を『あさみ先生』に持っていくこと」と言うと、部員達は一瞬ギョッと僕の顔を見た後、「なんだこのエロジジイは」みたいな顔で顔を見合わせていた。

頭で考えていることと、体の動きも食い違う。
このあいだも授業で試験の解説をしながら、「この『窓』は、その上の句と対句になっていて『戸』と対応する」と言いながら『窓』と書いたつもりで、『雲』という字を書き、生徒の指摘を受け、『窓』と書き直そうとして『窓』という字が書けなかった。
「えっと、『窓』ってどんな字だっけ?」と生徒に聞くと、優しい生徒が「『あなかんむり』です」教えてくれるので、「ああわかった」と言って『あなかんむり』に『心』を書くと、生徒の失笑を受けた。真ん中にあるべき『ム』がなかったのである。
ついでなので書いておくが「遊」という字を次のように黒板に書いて生徒の哀れみを買った。悲しい出来事だった。

もっと?衝撃的なのは、この間、セブンイレブンでコーヒーのレギュラーと言うべきところをコーヒーのレモンと言って店員さんにきょとんとされてしまった・・ことかな。

何だか無性に寂しいので、僕は毎晩欠かさず酒を飲み、外に出て月を見ながら「俺の悩みなんか小さい」と呟き、猫を撫でながら「何だかよくはわからないけど確かにお前も俺も生きてるよなあ」と言って寝ることを日課としている。
猫は何にも言わず、ただ気持ちよさそうにグルグルと喉を鳴らす。それが唯一の癒しである。

僕だけでなく、カミさんもちょっと怪しい。
カミさんは僕の飲み終わった焼酎の4リットルボトルを花の水やりに使っているのだが、ついこの間は、まだ焼酎の入っているボトルを使い、焼酎を水と間違えて花にやってしまった。
花はさぞ気持ちよかったことだろう。

唯一元気だった猫も、もう老齢。僕らとほとんど同年齢で、昔は「猫じゃらし」で遊べば、走り回わり、すごい跳躍まで見せたのだが、今は遊んでやっても意気地なくすぐ寝転がって手足だけで、お付き合い程度にしか反応しない。

みんなで老い、なんだか寝ている合間を夢のように生きているって感じなのである。
疲れたので、今夜も猫を撫でながら、湯たんぽでぬくぬくしながら寝るとしよう。

湯たんぽと 猫とまるまる 星の夜

 である。


■土竜のひとりごと:第194話

いいなと思ったら応援しよう!