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第239話:福祉国家
僕の住んでいる地域には御殿場線が走っている。運行本数は少ない。概ね1時間に2本程度。沼津駅発の上り国府津行は、夜の22時、23時台は1本しかない。沼津で飲んで帰ろうとすると、22:25か、23:19の最終に乗るしかないという状況。あるだけありがたいが、一本逃すと、特に冬は寒くて大変。
しばらく前(1991-2013)には、ロマンスカー「あさぎり」が御殿場線に乗り入れ、沼津まで走っていた時があった。
これを撮影したのは御殿場より沼津側、富士岡駅と裾野駅の間。
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撮り鉄さんも時にちらほら来ていた。
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しかし、沼津も力を失い、伊豆の玄関口は三島であったこともあってか、乗客は少なかったようで採算が取れなかったのだろう、2012年に新宿―御殿場間に運転区間が短縮された。今でも御殿場までは「ふじさん号」として乗り入れているようだが。
ここ数日、「廃線」の話題がニュースで流れている。
「100円の利益を上げるために1万5千円のコスト」と聞くと「それはもうやむを得ないなあ」という思いにもなる。それでも地域の「足」がなくなることは住民にとって大変な損失に違いない。
御殿場線のロマンスカーの短縮など、その比ではないが、それでもあったものがなくなるのは寂しい。ましてや「廃線」の「廃」は「すたれる」ということであって、切り捨てられ、何となく地域全体が沈んでいくような心理的な損失も大きいに違いない。
そんな「廃線」の話題を聞きながら、上野の本牧亭で聞いた政治寄席の話を思い出した。付き合い始めた頃のカミさんと。まだ20代の前半であったと思う。
詳しいことは既に記憶にはないが、「廃線」についてのこんな話だった。
国鉄は国有鉄道、国が「国民・公共の利便性」のために行っている事業なのだから、採算が取れないからと言って切り捨てるのは国民への「福祉」に反する。警察官は「国民の治安」のために働いているが、しかし、金を生むわけではない。それと同じだ。
さっき書いた「100円の利益を上げるために1万5千円のコストと聞くと、それはもうやむを得ないかという思いになる」・・という発想とは真逆である。
その時、僕は「ほー、なるほど」とも思ったが、それは少し「幻想」に近いのではないかとも思った。
ただ、そんなことを思い返してみた時、「福祉国家」という、それでもかつてはあり得た幻想が、現在ではまったくの「幻想」でしかなくなってしまったことに気づかざるを得ない気もした。
そう思わせる報道が毎日のように流れてくる。
東京オリンピックに関係する業界との癒着や賄賂、追求されても知らぬ存ぜぬを通す体質、文書の改竄、隠蔽。あるいはコロナ禍への後手後手の対応、累進課税に踏み込めず格差を拡大させている経済政策、社会保障の先行きへの不安、・・
困っている人がいっぱいいる!のに。
Wikipediaには「福祉は幸せや豊かさを意味する言葉であり全ての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を表す」と解説されている。
「保身」とか「私欲」とかに齷齪する政治には「福祉国家」の姿は思い描けないに違いない。
■土竜のひとりごと:第239話