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第261話:陰翳礼讃という迷路

「陰影礼賛」は名著である。

ところがどっこい、授業でこの名著を扱うと生徒は一読、?(はてなマーク)になってしまう。
鴎外の「舞姫」の冒頭「石炭をばはや積み果てつ」などもそうだが、「明治は?遠くなりにけり」である。もはや、近代文豪の作品も彼ら彼女らにとっては遠い過去の「古典」でしかない。
谷崎もほとんど読まれなくなり、その名前を知っているかどうかも怪しい。


■だいたい、字が読めない。

のっけから「陰翳礼讃」が読めない。
いんらんれいさん?などと言っている。
いんえいらいさんである。

隣同士で一回通読してごらんと言って、何となくそれを聞いていると、
蝋燭《ろうそく》も怪しい。
床柱《とこばしら》も「ゆかはしら」と読み、
羊羹《ようかん》に至っては「ひつじび」などと読んでいる声も聞こえる。
の工芸家は、「こ」じゃないよ、「いにしえ」だよ。
此処彼処《ここかしこ》は、でたらめにさえ読めないらしく沈黙する。

でも、まあ仕方なかろうとも思う。もはや生活の中に存在せず、日常の中で使わなければ、よほど小さい頃から読書していなければ、読みも意味もイメージもその言葉とは一致しない。

行燈《あんどん》は読めて欲しいが読めない。ぎょうとうなどと読んでいる。

→ 日本の漢字音には、中国で使われていた時期や場所によって違う音が日本に伝わったために呉音・漢音・唐音という三つの音があってね。ちなみに陰翳礼讃の「礼」も、「ライ」は呉音、「レイ」は漢音なの。

そこから先、授業はクイズみたいになる。
熟語をつくってごらん。
」は、ギョウ・コウ・アン
→ 事・動・燈(脚)
」は、キョウ・ケイ・キン
→ 東浜・南
」は、ヅ・トウ・ジュウ
→ 痛・髪・饅

自分のキャパの中で、80%分かるが20%わからないくらいがクイズの妙味であり、唐音は数が少ないので分かると得意顔になる。


■漢字の読みもわからないが、言葉の意味もわからない。

よんどころなく
→ 「やむをえない」だね。「よんどころない事情で欠席します」などと今も使う。君たちが日本人なら聞いたことがあるはず。

かそけく って?
→ これは漢字で書くと「幽けし」。かすかで奥深い感じ。「幽か」が「微か」につながる。「霞む」も近い。休み時間は元気なのに、授業になると「幽けき」人がたくさんいる。

そぞろに の意味は?
→ 何となく・むやみに。「気もそぞろ」って今でも使う。君たちがフランス人でなければわかる。

てざわりみみざわり を漢字で書くと?
→ 手触り・耳障り。「耳障り」は「不愉快、うるさい音、言葉」。日本人なら「耳触り」と書いちゃだめ。

・「蓋し」の読みと意味は?
→「けだし」・思うに。分からない人は漢文の授業で寝てた人。


■しかし、もっと問題なのは、そこに書かれている「物」がわからない。

・床柱って何?
→ 床の間のない家は想像以上に多い。だから神棚もないだろうし、仏壇も怪しい。

・行燈って何?
→ 行燈が家にあることの方が不自然かもしれない。

・漆器は? 蒔絵は?
→ 君たちの家で味噌汁をよそっている器は多分「漆器もどき」だよ。
仕方がないからスマホ出して画像検索でググってみよう。一番気に入ったのをタップして値段を見てごらん。隣の人に「これプレゼントして」って言ってみるといい。


■漆器や蒔絵に関しては多くの美しい比喩が使われている。例えば一つ例に引くと

(蒔絵が施された漆器を)暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおり/\風のおとずれのあることを教えて、そゞろに人を瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものがなかったなら蝋燭や燈明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであろう。まことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられている如く、一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、かそけく、ちら/\と伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す

美しい比喩、漆器が灯火のゆらめきを映すかすかな光
・・だが、この名著は彼ら彼女らにとって、まず迷著でしかない。



■蛇足に過ぎないが、この間びっくりしたのが、漢文で「嫁と姑の争い」の話が出てきた時、「姑って何?」と言った生徒がたくさんいた。
「あのね、家に迎えられたお嫁さんにとって、夫のお母さんが姑。お父さんは舅って言うんだ」って、生徒は「へーぇ」みたいな顔をしているが、そんな説明が必要なのかと思った。
確かに「嫁と姑の文化」もなくなった?のかもしれない。


■蛇足の蛇足に過ぎないが、そんなわけで噛み合わないことはたくさんある。9.11はもはや通じない。3.11も怪しい。スターウォーズも銀河鉄道999もマジンガーZも12人の怒れる男も・・。
最も腹の立つのは「堀北真希」がもうわからないことだ。そこでこの間、プリントを作って後ろの黒板に貼った。

生徒はきっと、ばかな教師だときっと思っていることだろう。


■土竜のひとりごと:第261話

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