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第259話:草を取るおばあさん

車を走らせていると、前の車に時々「いいもの」を発見する時がある。


■「これは何?」と思って信号待ちで撮ってみたのが次の写真。幼稚園にでも置くのだろうか?形は郵便ポストに似ているが、ポストのリサイクル?なのだろうか。


■次は鎌倉遠足のバスの前を走っていた車。高足ガニに携わっている人の車。

ちなみに内容をかいつまんでメモすると、「俺が高足ガニを語る時」と題して、俺と高足ガニとの付き合いが描かれている。

親父は村一番の高足ガニ獲り名人。ガキの頃は憧れたが俺は船酔いで諦めた。俺は奴を憎んだ。
おふくろは毎日「奴」をゆで、それが終わるまで飯の支度ができなかったから俺はいつも腹をすかしていた。俺は奴を憎んだ。
でも、それが俺の人生を大きく変えた。奴と戦いながら俺は、料理をするために生まれてきたのかもしれない、神様が与えた運命だと思うようになった。
終わりのない戦いだが、「あのカニ旨かったよ」という言葉を支えとして戦い続けている。

沼津ナンバーだった。Wikipediaによれば「巷説では、昭和35年に戸田村(現沼津市戸田地区) の地元旅館主人がタカアシガニ料理を始めたとされている」と書かれている。


■次は、土曜日の通勤途中の渋滞した道路でグーグルのストリートビューを見つけたので、思わずパチリ。

御殿場と伊豆を往復する毎日の通勤路は、観光シーズンには渋滞。ここのところは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響で週末は混雑。「オレは仕事なんだから、先行かせて!」みたいな狭量な嫉妬心がムラムラと沸き上がってきてしまうのは「さもしい」根性かもしれない。

つまらない余談だが、以前に勤めていた学校でその学校のストリートビューの写真に、何と僕と他二人の教員が校門の花壇に腰掛けて煙草を吸って談笑している画が使われていた。もちろん顔はボカシが入っていたが、生徒には僕であることは一目瞭然。生徒に「先生は学校を汚してる」と(笑いながらだが)言われ閉口したことがあった。
僕の「さもしい」姿が全世界に提供されてしまったことになる。グーグルも、もうちょっと「大人の気遣い」ができるといいかもしれない(笑)。


🔲(ここからが実は本論)。
そんな「さもしさ」とは対照的な一枚、こんな写真。
通勤途中の道で毎日のように道路脇の花壇の草を取っているおばあさんがいて、ずっと気になっていた。

こんな雨の日も。

大きな道路の脇に造られた花壇だが、あまり管理もされていない。おばあさんは草を取っているのだが、もちろん、自分の「花壇」ではないし、一人で取っているのだから町の自治会の活動でもないだろう。ただ一人で、毎日のように。


僕は「偉いなあ」と思い、つい、部活で「効率」を口にした生徒がいたときに練習終わりのミーティングで、このおばあさんの話をした。
「おばあさんは何故草を取っているんだ?」と。

生徒たちは黙って聞いていた。
多分、それは僕の言葉に強要されるものを察知したからだろう。僕も、たぶん、自分のためではなく誰かのために草を取っているおばあさんの「非効率」の美しさを強要したかったのだと思う。

おばあさんが草を取っている理由は本当のところはわからない。
でも、家に帰る車の中で、多分、それは僕が生徒に言いたかったようなことではないのだろうと、考えた。

おばあさんはそれを誰かのためにやっているわけでもなく、おばあさんのそれはおばあさんの生きてきた道筋の、ただその延長にあるだけなのかも知れないという気がした。
語弊を恐れずに言えば、おばあさんはそういう生き方を身につけてしまったからそうしているのであるような気がしたのである。


仕事でも作業でもなく、プライドでもなく、つい、そうしてしまう身体に刻み込まれた曲げられない生き方
もしそうであるならば、僕にはそれこそが「美しく懐かしい」生き方のような気がした。


■土竜のひとりごと:第249話




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