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第22話:救急車にお世話になる
今朝、猫に誘われて川べりを散歩した。
こんな感じ。
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ところが、バランスを崩して、肩から転落。
次の写真、それなりの高さがあって・・。
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とりあえず、負傷はちょっとで済んだが、全身泥水にまみれた自分を運びながら、
「あー、こんなところで落ちるなんて、年老いたなあ」
と、何だかすごく惨めな気持ちになった・・。
ひとつ間違えば、大けが。意識を失って溺れていた・・かも、
と思うと、命ということの頼りなさを思い、ちょっと寂しくなったりもした。
それで、学生のときガス爆発にあったことを思い出した。
僕の下宿には風呂がなく、そのかわり温水のシャワーがついていた。これは非常に便利で誰か入ってさえいなければ、いつでも一日何回でも使えた。
当時まだ東京の下宿と言えば銭湯通いが普通のことで、毎日通えば6、7千円の出費を覚悟しなければならなかったから、冬は寒いという難点はあったが、貧乏学生の僕には、そんな些細なデメリットにはかえられない価値があった。下宿生にも好評で、これがあるために地理的に多少不便でもここから離れられないと語る人もいた。
もっともシャワーといってもゴタイソウなものではない。瞬間湯沸器がシャワー室の中にあって、ガスの元栓を開け口火を付けておくと、蛇口のコックをひねったときにボッと点火して、お湯が出て来るというものだった。
ある時、6月の暑くなり始めたころ、早朝に目が覚め、ベタつく身体をさっぱりさせようと思い、シャワー室に入った。
いつものように口火を付けてお湯を出し、お湯を浴びた。体が温まったころ、お湯を止めて体を洗う。男のシャワーシーンなど興味もないであろうから詳細な描写は避けるが、洗い終わって体を流そうと再びコックをひねると、最初はぬるめのお湯が、そして後は全くの冷たい水が頭の上から降って来た。
これはおかしいと思い湯沸器をのぞいてみると火が付いていない。コックを締め、もう一度コックを開いて水を出してみたが、やはり点火しない。
おかしいと呟きながらコックを閉め、もう一度覗いてみると、口火が消えている。なーんだ、それじゃ点火するわけがないと思って、その口火をつけようとカチッとつまみをひねった。
その瞬間である。
ドカーン!(いや、むしろ音はトンだったかもしれない)と、
いってしまったのである。
何が何だか分からない。ふっと目の前が真っ白になって、次の瞬間我に返ると、自分は一面のガラスの破片の中にそれでも突っ立っていた。
最初にお湯を止めたとき、口火が消え、身体を洗っている間にその口火の所からガスが漏れていたらしい。それに気付かなかった僕は、愚かにもそのガスに点火してしまったことになるわけだ。
幸いにも漏れたガスの量が少なかったせいで、建物も壊れることはなかったし、僕も吹き飛ばされて物体になってしまうこともなかったが、シャワー室の窓ガラスは全部割れ、それが全部僕の方に向かって降りかかって来ていた。
右の肩辺りから血が流れ、臍の辺りまで2、3本の血の筋を作っているのが分かった。 こういう場合、人間は気が動転して我を失うと言われているがそれは違った。
ガスの元栓をゆっくり閉め、ガラスの上を注意深く歩いてシャワー室から出る。肩から流れている血をタオルで拭く。
ごくごく冷静で、自分の頭の中に自分の姿が鮮明かつスローな映像として描かれている・・。世紀末画にでもなりそうな、一人の男が血を流しながらガラスの上を歩いているシュールな光景である。
しかしむしろ、それからが大変だった。大家に知らせなければと思い、そのままバスタオルを羽織って隣家の大家に行くと、いつも世話をしてくれているオバアサンが「はい、はい」と言いながら玄関に出て来た。
そして僕の顔を見るや否や「まあ、どうしたの」と声を上げ、ろくに説明も聞かないまま奥に戻って、「オジイサン、救急車。救急車。土屋さんが・・」と叫び始めたのである。
こんなことで救急車に乗せられてはたまらないと思い、慌てて「僕は大丈夫です」と叫び返したのだが、慌てふためいているオバアサンの動転を鎮めることは出来なかった。オバアサンは即座に電話で交渉を済ませてしまったのである。
自分では気が付かなかったが、額から顔面、首筋にかけて血が幾筋も流れていたのであって、オバアサンにしてみれば、それはまさに一大事だったのである。
再び僕の前に姿を現したオバアサンに、事情を説明し、自分は大丈夫であることを告げると、ようやく安心し動転から解放されたようだったが、救急車を取り消してくれという僕の必死の懇願には耳を貸してはくれなかった。
「傷が深いかもしれないし後遺症でも残ると大変よ」と言い、「第一、もうこっちに向かってますよ」と言う。心配してくれるのは有り難かったが、救急車は有り難迷惑だった。しかしもう遅い。観念するしかなく、仕方なく救急車を待つためにオバアサンに促されて外へ出た。
僕が渋い顔で立っていると、オバアサンは
「あんまり元気そうにしていると連れて行ってもらえないから、そこに腰掛けて気分悪そうにしていなさい」と言う。
嘘をついてまで救急車に乗りたくないと、とっさに思った僕が「でも」と言いかけると、
「精神的なショックだってあるんだから」
と強く言い返され、従わざるを得ない。言われるままに腰を掛けていると、あっという間に救急車がやって来た。
迂闊にも全く忘れていたのだが、救急車は当然のごとくピーポーピーポーとサイレンを鳴らしてやって来たのであって、そして、これもやはり当然のごとく、その音につられて近所のオバサンたちがそこここから覗きに集まって来た。
従って僕は、
「誰かしら」
「あの人みたいよ」
「どうしたのかしらね」
などという好奇のひそひそ声の飛び交う中で救急車に乗らなければならなかったのである。彼女たちはきっと朝の食卓で僕のことを話題にし、さも重大事のように自分の見て来た一部始終を多少の脚色を交えながら語るに違いない。
うちひしがれて救急車の中で小さくなっていると、一緒について来てくれたオジイサンが、普段は全く無口な人なのだが、突然、「土屋君」と僕に声をかけて来た。
何だろう、ガスの扱いの注意だろうか、それとも人生についてに忠告だろうかと思い、「はい」と返事をすると、
「救急車はいいなぁ」と言う。
「はぁ」と疑問を投げ掛けると、
「だって見てごらんよ。みんな車が止まるよ。信号も平気だ。ほらほら。いいなぁ」と言う。
うわぁー、みたいな思いを分かっていただけるだろうか。僕は、オバサンたちの好奇心を満足させたり、オジイサンに救急車を初体験させるために、ガス爆発にあったのではないのに。
病院に着いて治療を受けたが、傷はどれも浅いということで縫わずにも済んだ。看護師さんは僕の髪の毛をかきわけてガラスの破片を取り除きながら「ここの傷はちょっとハゲになるかもね」などと、いとも冷静に言ってのけた。
幸いなことに僕は、命も失わず、ハゲにもならずに済んだ。
救急車には以後二回、お世話になったことがある。一度はバイク事故で自分が、もう一度は熱中症になった生徒の介助で。いずれも大事に至らなかったが、救急の方には本当にご迷惑をお掛けしたことを感謝したい。
ただ、いずれも一歩間違えば、死につながる危険だった。命とは案外、薄い仕切りで死と隔てられている。その瀬戸際を今日も救急車が懸命に走っていることを考えた。
去年はコートの傍にあったオオスズメバチの巣に気付かず、台風で散らかっていた木を放り投げていたら、巣が攻撃されたと思ったのだろうか激怒したオオスズメバチに刺され、病院に通った。
すでに今は老体である。
2、3日前には声を出しながら前衛のボレー練習のボールを出しをしていたら呼吸困難になりかけた。
スクワットをしたら、翌日動けなくなった。
そして今朝はよろめいてパジャマのまま川に落ちて泥だらけになった。
生と死の境を隔てる壁は脆く壊れやす鋳物になっていることを弁えなければならない。