第147話:沈黙の艦隊
僕は漫画が苦手である。
別に気取っているのではなく、漫画を読み出すと「文字」を読むのが面倒になって「絵」だけを追いかけてしまい、そのうちに話の内容が分からなくなってホッぽり出してしまう。
というわけで、僕が読み通した漫画は二つしかない。
ひとつは、井上雄彦の「スラムダンク」。
桜木花道の人間がおもしろい。たぐいまれな才能を持っているだけではない。欠点だらけで鈍くさく、バカみたいに努力する。何よりセリフが少ない。最終巻はほとんどセリフもなく展開していくが、涙が止まらないほどの感動がある。
もうひとつが、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」。これは、なかなかの作品だと思う。
新型の原子力潜水艦をある自衛官が乗っ取り、その潜水艦自体を「やまと」と名付け、一つの国として独立を宣言する。世界の国々と渡り合い、艦隊と闘いながら、世界を翻弄する。次から次へ展開される状況がスリリングであるし、その状況に対して艦長の理性的な判断が実に気味がいい。
しかも、それらは現代が課題として背負っている核の抑止力を背景にした心理戦から出てくる判断であり、自動的に僕らに抑止とは何か、平和とは何かを問いかけてくる仕掛けになっている。各国のトップの考え方がよく国民性をつかんで書き分けられているのもおもしろい。
余り書いてしまうとネタバレになってしまうので、僕がハッとしたセリフをひとつだけ書いておきたい。
無防備にかつ沈黙のまま威圧してくる「やまと」に対して、これを攻撃すべきか否か判断に苦しむアメリカ大統領が、まだ小さい自分の息子との会話の中で口にした言葉で、だいたい次のようなものである。
仮想敵とか核の抑止とか、そういう空しさについても考えてみるが、もっと単純に僕は、田舎の田んぼ道にある無人販売所ののんびりとした風景などを思い出してみる。僕らが子供の頃は農作業に出払っても鍵はかけなかった。同じように人の家を訪れて、玄関が開いているのに誰もいないことは当然のようにあった。
ある地域では、家を空けるときに戸口に棒を立てかけて留守を明示するのだそうだ。そうすることで周りの人が留守を知り、見守ることができる。
急な雨でも降ってくれば、洗濯物も取り込んでくれる。共同体は生きていて、お互いに助け合うという信頼感は強かったのである。そんなことを生徒に言うと、絶対に嫌!と言うのだが。
共同体社会の是非はともかく、この言葉は、無防備な者、弱者に対する姿勢は、それに向き合う人の品格が問われていることを示している。
最近学校では盗難が起こると被害者の側の管理の甘さが責められる。道を聞かれたら立ち止まらず逃げろとも教える。人を信じるなと教えなければならない・・それは何だろうと考えてしまう。
無防備な者をいじめたり、殺してしまう事件が新聞を賑わわせる。今のミャンマーや、中国の香港・南シナ海に対する圧力、ウクライナ・・「いとも簡単に戸口の紙を破って侵入する」行為だろう。
非暴力非服従・プライドなどという格好良い言葉はなかったが、例えば、おばあちゃんはおてんとうさまに申し訳がないと言って生きてきた。僕らの社会が何を失ってしまったのかを考えてみなければならない。
権力者の権力保持のために、そういう善良な人々の命が失われてはならない。
石破氏が次期首相に決まった。
戦争への道筋に引き金が引かれなければいいが、と思う。
さて、妻が保険金目当てに夫を殺すという報道も多くなって、そのたびに僕は身の危険を感じてカミさんを見るのだが、彼女は「大丈夫。あなたの保険金は1千万円だから」とにこにこして言う。
まだ生かしておいた方が得だという判断らしい。
寝首をかかれないためには、怠けすぎてクビにならないよう、一生懸命働いているフリだけはしなければならない。
■土竜のひとりごと:第147話