第286話:エアコン
この夏は酷暑だった。
僕が御殿場に越してきたのは26歳の時。もうかれこれ35年以上ここに住んでいることになる。
ここに越してきた頃は、御殿場は湿気が強く、梅雨の時期はよく霧が出て水の中にいるようだった。何でもカビてしまうような湿気と暑さに悩まされたが、それを過ぎると、日差しはそれなりに熱いが、空気は冷たく澄んで高原にいるような爽快さがあった。部活でテニスコートにいると鳥肌が立つことさえあった。
勤務は静岡だったり沼津だったり伊豆だったりして、それなりに昼間は下界?の暑さには馴染んできたが、車で御殿場に帰って来る時に窓を開けていると裾野辺りから空気が変わっていくのがわかった。4℃くらいは違うだろうか。夜も確かに寝苦しい日がないではなかったが、さほど気にはならなかった。
ところが次第に暑さが厳しくなって、5年前にエアコンをつけることになった。それでも本当にごく熱い日に少しかける程度で済ませてきたのだが、去年は寝る時に30分か1時間タイマーをセットして眠るようになり、今年はとうとう一晩中エアコンをかけて寝ることになった。
夏だというのにタオルケットも出さずに、厚掛けの布団のまま、朝はそれにガッチリくるまって寝ていたりする。
それは「正解」なのだが、自分の中にはまだ何となくどこかに「?」があって、ひょっとしたらそれは「エアコンなど贅沢だ」という感覚なのかもしれないなどと、ついこの間思ってみたりした。
例えば、僕は湿気でフロントガラスが曇って見えないような時以外はどんなに暑くても通勤の車ではエアコンをつけない。それは3万円の小遣いの中から携帯代とガソリン代を支払っているから、ガソリン代の節約が一カ月の「自由」をもたらすというみみっちい理由なのかもしれない。
もう少し根っこの理由があるとすると、そう「子供の頃はそこらじゅう開けっぱなしで蚊帳を釣って蚊取り線香を焚いて寝てたなあ」みたいな感覚かもしれない。カブトムシが飛び込んできたり、朝、蚊帳を落とすときに兄弟を中に閉じ込めてふざけ合ったり。
昭和の映画で団扇をバタバタ煽ぎながら刑事がタバコの煙がモワモワしている中で打ち合わせをしている光景などを観ると何だか懐かしかったり。
寄る年波で疲れ切ってどうしても帰りの車でエアコンをつける時に何か歳をとってしまったみたいな敗北感のようなものを感じてしまったり・・。
それはきっとバカげた感覚なのだろう。
まだ物もなく豊かでなかったから、我慢が普通だった時代、みたいな。
むしろ「耐える」という美徳を身につけてしまった、みたいな。
まだ、今ほど暑くなかったと言えばそうなのだが。
田舎だったから、僕の生活の中にエアコンが入って来てまだ20年弱くらいかもしれない。エアコンが入った教室で授業をし始めたのが15年くらい前だろうか。オンボロで暖房のような冷房だったが。
今の家にエアコンを入れたのは、前に書いたように5年前。近隣の小中学校にやっとエアコンが設置されたのも同じ頃だったかもしれない。
あっという間になくてはならないものになった。
高齢者がエアコンをつけずに部屋で熱中症で死亡するニュースが多く流れる。
高齢故に暑さを感じにくい、認知症でエアコンをうまく操作できないなどという例が多いということだが、ただ、僕は何となくさっき言った「耐えるという美徳を身につけてしまった」みたいなことも、その理由の中にあるのかもしれないと、ふと思ってみたりしたのである。
蛇足に過ぎないが、僕は今年度から時短勤務で週19時間の勤務に切り替えたのだが、生徒から頼まれて7月から部活指導をするようになった。
11:50に勤務が終わる日であっても練習開始を待って19:00まで付き合うみたいな感じだから、週の平日だけで30時間以上の超過勤務になる。無論、公務員だからその間は無給。土日も含めれば月140時間くらいの残業をしていることになる。
「バカなことをやっている」と思いながら、それに「耐えよう」としてしまう自分がいるのが、自分でもバカげたことなのである。
今日も一日試合だった。明日も「敬老の日」だが一日試合である。熱中症で死なないように気をつけなければならない。頑張らねば。
ひまわりが よいしょと持ち上げている空が どっかんどっかん 青い
■土竜のひとりごと:第286話