第13話:彼は私を犇と抱き締めた
だいぶ前のことになるが、車でラジオを聴いていたら、ある有名女優がある漢字を読めなかったという話をしていた。
テレビドラマのシナリオの台詞の読み合わせの際、その有名女優の台詞に
「彼は私を犇と抱き締めた」
というのがあったそうだ。
実はこれは「ヒシ」と読む。「犇めく(ひしめく)」であればもう少し分かりやすいかもしれない。彼は彼女を力強く「ひし」と抱き締めたのだろう。
この字をその女優は読めなかった。しかし何しろ「有名」女優であるので意地や自尊心がある。ヒョイヒョイと人に聞くことは出来ない。
脚本家やスタッフは「しまった。ルビをふっておくんだった」と思ったらしいが、既に後の祭り。同じ「有名」だという理由が災いとなって、おいそれと教えることも出来ない。教えれば彼女は恥を感じ、プライドを傷付けられたと思うに違いないからである。
そこで気まずい沈黙の時間が流れることになる。たとえ30秒、1分であったとしても、こういう場合の時間は無限に長く感じられたに違いない。
そして彼女はおもむろに読んだそうである。
「彼は私をギュギュギュと抱き締めた」と。
思わず「御苦労様」と言いたくなるような一場である。
この字は日本人でも読める人が少なかろうから、読めなかったとしてもさしたる恥には当たらないのではないかと思うが、高校生諸君の答案や作文には、これとはレベルを全く異にした堪忍袋の緒が切れるような許しがたい誤りが数限りなく出現する。
ちなみに例を挙げておくと、
・聖神(←精神)
・潜水観(←先入観)
・価値感(←価値観)
・お札を言う(←お礼)
・急がしい(←忙しい)
・原始爆弾(←原子爆弾)
・夏目瀬石(←夏目漱石)
・藤原道網母(←藤原道綱母)
・紀貫乏(←紀貫之)
・小年(←少年)
・専問(←専門)
などなど枚挙にいとまない。
中には「愛媛」を「絵姫」と書いてあるものもあったりして、ほとんど許し難い憤りを覚えたりすることがあったりもする。ちなみに、大学文学部の卒論で一箇所、藤原定家を「定歌」と書いてしまったために教授の怒りに触れ、留年の憂き目にあった学生がいると聞いたことがある。
テストで「夏目漱石」が書けないからと言って「ウルトラマン」などと書く輩もいるが、そうするとそのレベルは、「赤点」に相当するかもしれない。
「常識」というものは「破壊」すべきものだ。
それは素晴らしい命題である。しかし、知っておくべき「常識」はあり、「常識」を知らなければ、それは破壊の対象にもなり得ないこともまた事実である。
かつて、大学受験の願書を「書留」で送るのにポストに投函してしまった生徒がいたと職員室で話題になったことがあったが、僕も高校時代、初恋の女の子に年賀状を出したのだったが、普通葉書で書いたために、正月に届くはずの年賀状がクリスマスに届いてしまい、スゲなく笑われて、恋をひとつ棒に振ったことがある。それは僕が、普通葉書で出す場合には「年賀」と朱書きするという常識を知らなかったためである。
高校生諸君もラブレターに「変しい変しい○○さん」などと書いて恋を棒に振らぬよう、漢字の常識くらいは身につけようではないか。
蛇足ながら、かく言う僕も、この間、授業中に黒板に書くのに「窓」という字が思い起こせず、「『まど』ってどんな字だっけ」と生徒に聞いて、きょとんとされたのだったが、これは「忘れた」のであって「知らなかった」のではないことを強調してこの愚話を締めくくりたい。
(土竜のひとりごと:第13話)