覚悟・不退転の境地・時代の先を見抜く力
房野史典さんの「笑えて、泣けて、するする頭に入る 超現代語訳幕末物語」を読んだ
知っていることも知らなかったことも、わかりやすく面白く読ませてもらった。
この中で、江戸無血開城のくだりが心に残った。
"私"を捨てて、"公"を選び、どこまでも人の命と国の未来を考えた勝海舟。
どんな難問にも、全責任をとる度量の大きさを見せた西郷隆盛。
この2人だったからこそ、
《江戸無血開城》
と呼ばれる奇跡が起こったんじゃないかと思います。(話し合いの場には、山岡さんはじめ、他の人もいました)。
(房野史典『笑えて、泣けて、するする頭に入る 超現代語訳幕末物語』幻冬舎)
これにより「100万を超える江戸市民の生命と財産が救われ」たわけで、まさに奇跡だ。
これだけ多くの人々の命を救えるだけの力がこの2人にはあったということだろう。
その力のひとつは"覚悟"だろう。
自らの進退など気にすることなく、それどころか、本当に命をかけて実行する不退転の覚悟あったのだと思う。
そして、"大儀"。
自分の幸せを捨てて、多くの人々の幸せを祈る心を彼らは持っていたのだと思う。勝海舟はもちろん、西郷隆盛もそれを持っていたからこそ、話し合いに同意することができたのだろう。
しかし、この時代のすごい人たちの多くが、"覚悟"や"大儀"をもって本気で動いていたはずだ。でも、時代のあだ花のように散っていった志士たちは多かった。
その中で、後の世から「奇跡」と称えられる偉業をやってのけた、この2人は何が違ったのか?
それは"時代の先を見抜く力"ではないだろうか。
これから先の時代、人々にとって本当に大事なことは何なのか、そこを見抜いていたからこそ、この時の判断が後の時代でも正しかったと評価されるに至っているということではないだろうか。
そういう意味では坂本龍馬も同じだと思う。
自分たちが何をすることが多くの人々のために、社会のためになるのか、そこを的確に見抜いていたのだ。
そして、そこに不退転の覚悟と大義の心が備わっていたからこそ、この江戸無血開城という奇跡は起きたのだと思う。
これは、現代を生きる今の私たちにも通じることだと思った。