このことを考えたことがある人は、十分に【スピリチュアルな人】なのです。
「スピリチュアル」は怪しいと思っている人のほうが多数派なのかな?
目に見えないものは信じないと決め込んでいる人もいるだろうし、見えないがゆえの恐れから遠ざけようとしている人もいると思う。
そういった人にどうか信じて欲しいということではないのだけれど、「あなたもスピリチュアルな人である」ということに少しでも触れてもらえたら、もしかしたらあなたの世界観が大きく動き始めるかもしれないなぁなんてことを考えております。
そこまで伝えきれる力量があるかが問題だけど……私のお仕事にも関連している「スピリチュアル」についてちょっと語ってみます。
そんな私もかつては「スピリチュアル」=「怪しいもの」と速攻思っていました。
今は信じるか信じないかというよりも「受け入れている」という表現がしっくりくるかなと思う。自分の意識や思考が自分の世界を作り出しているというのなら、このスピリチュアル的な世界もまた自らが作り出した世界である。だからそれをそのまま「受け入れ」て、また未来へと作り出していくものだと捉えている。
眠っている時に見た夢を、「夢だった」「夢を見た」と受け入れているのと感覚的に近いと思う。
ここからが本題。
今まで生きてきて、このようなことを誰もが一度は思ったことがあるのではと思う。あなたも思ったことありませんか?
このような質問を、自分や世間、神に対して問うことは実はスピリチュアルなことなのである。
自分が単にそう考えただけのことだと思うかもしれないけれど、自分の存在についての意義を考えようとすることは、生命の根幹である「魂」に触れようとする精神性の高い行為なのだ。自分の奥底にある目に見えない世界を知ろうとすること。
私がしている星読みやカウンセリング、キャリアコンサルタントという仕事は心・魂・意識・無意識・生き方・考え方などを扱う職業だ。
この仕事のために、先の質問を日常的によくしていると思う。自分はどうして生まれてどこへ行くのかを探求し続けることは、こういったものを扱い、星や潜在意識の世界を読み解こうとする人間には必須なことだからだ。
ある日、瞑想をしていて「私はこの世に何をしに来たのか」という問いにハイヤーセルフから答えをもらったことがある。ハイヤーセルフとは自分よりも高い次元の世界にいる自分自身のこと。
そのハイヤーセルフからの答えは、
「あなたは風を感じに来たのだ」であった。
肉体を持っているがゆえに、風が皮膚に触れる心地よさを感じることができる。
肉体があるがゆえに感じること、経験することを存分に楽しむために来たのだと伝えたかったようだった。
そんなとても単純でシンプルなことだったのだ。
けれど人間は奥深くにあって見えないものだから、「なぜ?」とこの世に生きていることの意義を求めて答えを見つけ出そうともがいている。そんなシンプル過ぎる答えでは、生きる苦しみの答えになっていないように思うからだろうか。もっと複雑なことこそが答えだと信じているからだろうか。
けれどその苦しみは、私たちの学びとなり、魂の成長となり、そして地球全体の、宇宙全体の成長へとつながっていく。
私たちは自分の魂と、目に見えないスピリチュアルな何かと対話をしたいのだ。
だからもし、あなたが自分が今ここにいることについて、何か問いかけたくなる思いが奥底にあるように感じているのなら、あなたは十分にスピリチュアルな人なのです。