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切り開くとか寛容さとか新しいものとか


昨日くらいで日記続けて100日になった。(その前に70日ほど幻の期間があるのだけど更新を間違えてしまったので)

寛容じゃない世界でいきていると苦しくなる。
子供がわいわいさわいでいたりすると冷たい目で見る人がいる。
電車の中とか(最近は乗らない)スーパーとか、飲食店とか。
これは人の素質とか、向かい合っている課題によって変わるけど、わたしは個人作業が一番はかどるのは少し騒がしいところだ。ファミレスのドリンクバーは作業にとてもいい。田舎のファミレスは都会ほど人が多くないから長居もできる。
小さい時からリビングで見ないテレビをつけてながしていたように、BGMのようなものだと脳が認識しているのかもしれない。
今は家だけど、Netflixでシスターズをかけている。こういうときは一度みているもののほうがいい。韓国語はわからないから字幕をみなければ本当に音楽のようだ。俳優さんのリズムが心地よい。シスターズは若草物語がベースになっているみたい。ベースにあるものがしっかりしていると、ドラマが面白くなるというのを韓国のドラマづくりをしているひとはよくわかっているなっておもう。

話がそれたけど、寛容じゃないことは窮屈さにつながる。そういうところを切り崩していく感じは嫌いじゃない。なんで、いいじゃん。と。
演劇に関しては、演劇は作れるものだとかおもってないとか、もしくは学芸会やお遊戯会と一緒にしているかだ。演劇は歴史にあるというより、日本人にとっては西洋音楽のように新しい文化だ。クラシック音楽はギリシャ演劇だったり、シェイクスピアだったりする。邦楽と洋楽のようにジャンルが違うもの。知らないものを知ってもらう、伝えることなのだと思う。それには長い年月が必要で、それは今も続いている。日本の現代演劇、日本の現代音楽というのはあくまでも新しい文化だ。当たり前だけど。この時代に生きるということは、その新しい文化を切り開いていくということ。そこに正解も間違いもなく、決められるのは時代だけだから。残らなくてもいい、生きてさえすればよい。


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chirico kaworu
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