評価を得ることは一つの通過点
コンテストとかコンクールとかにエントリーするひとたちをリスペクトする。自分を人の目に晒して、評価の対象になるということに気分の良さや心地よさをを感じることがあるのかなって思う。その若干の気分悪さを乗り越えた先に得られるものがそこにあるから挑戦する。何を得られるか、何をえようとするかは人それぞれなので、得られるものがないコンテストはないということになる。
人は評価されながら生きているもので誰かが幸せになる影には必ず誰かのふしあわせとのセット。いやいや誰かと比べるものではないよ、とかいわれるけど、一人で完結できない生き物である限り否定できるものじゃない。そんな社会で生きているのに、あえてまた評価の軸に自ら身を置くのは、よっぽどのものずきか、社会がそうできているから仕方ないかなって思う。
勝利をもぎ取る行為には限りない時間や労力が費やされる。そしてその評価を維持するためにまた時間や労力を費やすという繰り返し。疲弊するし長続きはしない。評価など一度手にしたらもう十分かもしれない。
だから、評価を得ることは一つの通過点だと思えるかどうかが分岐点だと思う。
自らがその先に何を夢見て、そこで得たprideを使って達成しようとする目的を持っているのか、そっちの方が大切なのかなって思う。自分の目的を達成するために、コンクールの評価を利用するぐらいのしたたかさでいられるかどうか。
だから、音楽などで賞をもらってもうけとらない人も出てくるというわけだ。信念にあわない、その評価を得ることが自分のキャリアによい影響を及ぼさないとおもったらどんな章も意味を持たない。
だから、人の評価軸に身を委ねることも時には必要だけど、一過性のものでもあるということを肝に銘じて、もしどちらに時間をかけることがすれば、自分の評価軸を定めることに注力したほうが良いのだとおもう。
研ぎ澄ますために人の評価軸に委ねる、という活用法もあるし、いろんな用法用途で使ったら良い。
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