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記憶に残ることは、いつも「感情」が動いたとき
どうもSORAHIKAです。
私の記事を優しくいつも見ていただいている方はご存じだと思いますが、
私、教師なんです。はい。
こう見えて「教育者」なんです。はい。
学生時代の学力はですね、
高校生の頃の成績でいうと、1年生初めてのテストの総合計で、学年210名いる中、
学年2位!
なんと下から数えて。
もうほんと、オーマイこんぶ。今の子は知らないね。
成績表見た瞬間、成績表も、目も、心もすべて閉じてさっと机の中にしまいましたね。ネテロ会長の感謝の正拳突きをすでにマスターしていたかのようにサッと。
クラスが成績で盛り上がってる中『菩薩ってだからあんな顔してるんだ』と少し悟りを考えるほどのプチパニック。
なのに、少し離れた席の友達が小声で「順位何番だった?」って聞くんで、
こっちも小声で「…209番」って言ったら、友達が「え?」って。
聞こえてないからもう1回「…209番」って言うですが、また聞こえてなかったのか、今度は少し半ギレで「え??」って。
「209番や!!」
部活で鍛えられた声出しの成果をいかんなく発揮し、見事にクラス全員に順位がばれて一気に周りに引かれるという、素敵な高校生活をスタートしたことを今でも覚えています。
話それました。
教師になって思うんです。学生時代に経験した楽しかったことや嬉しかったこと、辛いことや悲しいこと、日々沢山ある中で、大人になってもふと思い出すことってなんだろう、と。
また、なんで“その”思いでが残っているのか。
もちろん、記憶に残っているものは人それぞれではあるんですが、「記憶に残ること」で共通するものって何だろうと考えたとき、
人は「感情」が大きく動いたときのことをよく覚えているんですよね。
例えば・・・
・テストの点数、ちょっと低かったかなって思ってたけど、怪鳥ブブカが予想を大きく裏切って低空飛行、飛ぶどころか地面にめり込むぐらいの点数を叩き出したとき。
・別れた彼女が、仲の良い友人とお付き合いしていたけど、周りから話聞くと付き合ってる期間ががっつり被っていたことを知ったとき。
・小学校の体育館で全体朝礼の時に、誰かがおならをしてしまい、近くにいる仲の良かった友達だとなぜか思い込み「なんか臭くない?」と周りと冗談を言っていたら、前の女子が泣いてしまい、死ぬほど謝ったが、その後すべての女子を敵に回したなど。
すみません。全然、例えてないですね。
ノンフィクションです。すみません。
あれから何十年たった今でも学生時代の光景が鮮明に思い出されます。
ほんと色々ありました。
いい思い出も、嫌な思い出も、時が過ぎればネタになる。
どんな出来事もいつかは笑い話になる。
本当にその通りですね。
少し話がそれましたが、
人は大きく感情(心)が動かされたことは大人になってもずっと残っているんですよね。
運動や勉強、遊び。
絵画や言葉、本に書いてあることも、歌も、空間もすべて、その時の自分の感情が、その現象(出来事)に色を足したり引いたりしている。
子どもたちにとって、どんな風景を、どんな場面を、そして、どんな感情のタイミングで見せるかで、きっと心に残る映像が大きく変わるんだと思います。
そんなことをふと思いつつ、過去を振り返って懐かしい記憶に少し想い更けながら記事を書いた次第です。
自分自身も、「今」の感情にしっかり向き合っていこうかな。