男らしさの終焉 読感
久しぶりにnote、読感です。
なるほど面白い視点だね~。
フェミニズムの本読むと「男性はどう思ってるんだろう?」と思うことままあって、男性学も読むんですが、
男性も行き詰まり感じているのかなぁ。
次のロールモデル?なるほどね。
たぶんおんなじところをめざしていると思うのでどっかで落ち合っていい感じになったらいいなぁと思っています。
ただちょっと思うこともあって。
「女らしい女」ってなんとなく男性からの「こうあってほしい、あるべき」という視点じゃないの?っていう視点があって。
で、「男らしい男」ってやっぱり男性からの「こうあってほしい、あるべき」という視点、なの?どうなの?
そういう人知ってますか?
で、それ、「なりたい」の?
てのが、FTMの人がフェミニズムを学んで(男性にもフェミニストはいますし)その観点から話しをしたら
「そんな男はいない」
って言われたって話を聞きまして。
これとは別に。
BLとかミステリでなかれの整くんとか女性向けゲームの男性キャラ。
だいたい「そんな男はいない」って話になりませんか。
なんだろう。
「女らしい女」と「男らしい男」の非対称性になにか原因がある気がする。
この非対称性ってなんだろうね。
「女らしい女」は女性の「こうありたい」で
「男らしい男」も男性の「こうありたい」なら公平だけど。
個人差多くないか。
フェミニズム小説書く時、男女間の恋愛だと性役割いびつにならない?
性役割固定化しない異性間の恋愛関係を書く紙幅が足りない。
みたいなことで同性間恋愛を書くことがあります。
異性を愛する女性を書くとき、性役割を演じるのも女性の喜びってなりがちで、もちろんそういう生き方もある。
ただ異性は好きだけど性役割の押しつけは嫌だって人もいるでしょう。
で、「女らしい女」が女性の「なりたい」の時、「モテ」を意識した、「こっちのほうが男性受けいいから!」風に性役割そのままってことありませんか。
やだよそんなの。
もしそれと全くおんなじ理由で「こっちのほうが女性受けいいから!」風に男性の「なりたい」男性らしさを作る時は、女性作家の描いたものが案外ロールモデルになるかもしれませんが。
やだよそんなの、って人はたぶんいるなぁ。