私の根っこにあるもの
「ねずみ女房」という絵本がある。
普通の生活を送るねずみ女房が、傷ついた鳩との交流で広い世界を知って、その上で普通の生活に戻っておばあちゃんになっていくお話だ。
広い世界を知ってそのまま自分のやりたいことに向かっていくというものではなく、締めくくりは
『おばあさんは見かけはひいひいまごたちとおなじでした。でも、どこか、ちょっとかわっていました。ほかのねずみたちの知らないことを知っているからだと、わたしは思います。』
で終わる。
これを知ったのは仙台の専門学校にいたときで、19歳くらいだったと思うけど「どうしてこのねずみ女房は広い世界を知ったのに、今までの生活に戻ったんだろう?」って疑問だった。
それからずっと頭の片隅にねずみ女房があって、その後、自分でHTMLでHP作る時にも「そらとぶねずみ」のアドレスで作ったりもした。
その後自分が子どもを産んで、色々あって囚われていた枠から出て広い世界を知った時。
「私は誰の人生を生きているんだろう」と感じて動き出した時。
あの「ねずみ女房」を思い出した。
鳩の背に乗ってキラキラ輝く夜空や、夜露の輝きを知って、そのまま外の世界にいることもできた。
でも、ねずみ女房はそうしなかった。
ねずみは飛べないのだ。
こってりしたクリスマスケーキを食べてお腹を壊したり、お前の世界はここだと言ったり、友人には訪ねていくのにパンくずは探しに行かなかったり、外出するめすねずみに噛み付いたりするおすねずみ。
可愛い赤ん坊ねずみたち。
そして、変わらないいつもの日常。
自分が広い世界の中に生きている事を知って、きっかけがあればすぐにでもその世界に触れられることを知って、ねずみ女房はどう思ったんだろ
『「だって、わたし、見たんだもの。はとに話してもらわなくても、わたし、自分で見たんだもの。わたし、自分の力で見ることができるんだわ」
めすねずみは、そういって、ゆっくり、誇らしい気持ちで寝床に戻りました。』
心が自由であること。
私の名前には羽がついている。
ねずみ女房が教えてくれて、今日の私がここにある。