フル回転の脳みそに集中というスパイス
とっても不器用。
小学校3年生の時、廃材を使って何かを作るという時間。出来上がったものを先生のところに見せに行く。すると
「雑だねー(笑)」
「???」
小学校3年生の私はこの”雑”という言葉の意味を知らず、とってもポジティブに、こんな作品でもいいんだ、と合格をもらったような感覚でいた。
しばらくして、意味を知り、だよなー、あれがステキな作品であった訳がない。と納得した。
そんな自分だから、小学校のころに始まったお裁縫なんていう事柄についていけない。みんながやっていることを同じようにやるけれど、どうもしっくりこないので、基本的なことだけ学んでそれ以上進めたことはなかった。
しかし、2人目の育休中。これから来る夜泣き赤ちゃんを想像できず、よく寝ている次男を見て、やってこなかった刺繍やお裁縫を基本からやってみようと思い、始めてみた。
刺繍は、これまで一切やってこなかった。だから本当に1つ刺して、次は・・・とちっとも進まない。それでもなんだか楽しかった。
そして、やってきた、夜泣き赤ちゃん。これと闘うこととなり、刺繍なんて手に付かなくなり、だいぶ放置していた。
最近、決して育児が落ち着いているわけじゃないけれど、ふと思い出し、あの時やり始めた刺繡を取り出してやってみる。もちろん不器用だから上手にはできないけれど、面白い。
これは・・・?
毎日、分刻みで次やることを段取りしながら動いている。起きている限りはずっと。夜中にふと、子供に蹴られて目を覚ましても、
あっ、朝起きたら、あれやって、これやって、これ持って動けば・・・
と夢現の中でも考える。脳みそは常にフル回転。
その中で、刺繍している時間は、じっとそのひと針、ひと針に集中していて、次の段取りについて考えていない。でも、この時間が切れると、また、何時にこれを終えて、次は・・・なんて考え出してしまう。
この集中できる時間が、とても脳みそには爽やかなようで、だから上手にできなくても楽しいと感じているのかもしれない。
noteの時間もそれと同じ。ぐっと、集中して記事を書いている今は、これだけに脳みそを使っている。でも、ふと、あら?今何時?なんて現実の世界に引き戻されちゃうと、段取りしている脳みそにすぐに戻ってしまう。
この頭の使い方をやめてしまうと、育児、仕事、家庭の環境が悪くなり、居心地が悪くなるので、止められない。でも、実際疲れる。
段取り思考から抜け出す、刺繍、note、読書。
集中して取り組むことが、楽しいと感じる理由がふと分かった。
刺繍のもう一つの楽しみは、ステキな感性を持つ長男君に出来上がりを見せると、どんなに下手な作品でも
「わぁーママ、ステキだねー」
って、褒めてくれること。
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