自己肯定感とは一体何なのか
自己肯定感。
自分を肯定する力。
自分を認める力。
ありのままの自分を受け入れる力。
わたしにはこの自己肯定感が全くないと、お医者さんに言われています。
むしろ自己否定をする力を色んな場面で発揮させていて、自分を苦しめつづけていると。
自己肯定感とは、一体何なのでしょうか。
単語の意味はわかります。
自己肯定感があった方が生きやすいことも、言われているように、いたるところで自己否定してしまっていることも。
自己肯定感がないと、自分を自分で認める力がないと、そのままの自分でいいと思えなくなります。
だめなところばかり見つけてしまう。
がんばったことに対しても、がんばったことにではなく、できなかったことに目がいってしまう。
それどころか、自分がどこにいればいいのかさえ分からなくなってしまう。
何をするにも自信がもてなくて、自分をいらないものとしてみてしまう。
人と関わるうえでも、自分が嫌いな自分が人に好かれるはずがない。
そう認識しているから、人からの否定は人一倍心に響くのに、人から褒められることに対しては、そんな大したことじゃないと、褒められるほどのものじゃないと否定してしまう。
そして受け入れられない自分も、人からの好意や肯定を否定してしまう自分も、まただめだと否定を繰り返してしまう。
お医者さんから自分を褒める練習をするように言われたときに、わたしは自分のどこを褒めればいいのか分かりませんでした。
褒めるにもみんなが当たり前にしていることをわたしもしているだけで、みんなはもっとがんばっていて。
たぶんそこには、わたしよりもがんばらないでいる人もいるはずなのに、がんばっている人を見て比べて落ち込むことを繰り返してしまうことが日常です。
普段できていることは、わたしにとっては当たり前のことで、最低限のこと。
しかし、お医者さんが言うには、そんな自分のとっての当たり前のこともできない人もいる。
だから、チャレンジしたことだけでなく、日頃自分がしていること、できていることから褒める習慣をつける練習をしていこうと、新しくがんばることは止めた方が良いとそう言われました。
今日がんばったこと。
朝起きて着替えてご飯を食べて仕事にいった。
薬も忘れずに飲んだ。
忙しいなかでも仕事をがんばった。
電話にも出た。
へとへとだけど、帰ってご飯を食べてお風呂にも入って歯磨きをして明日に向けて寝る。
たぶんお医者さんが言うには、こんな日常を褒められるように練習しろということ。
わたしはきっと、1日をがんばったんだとはおもいます。
仕事もしなくてもいいならしなかった。
朝も起きなくていいなら起きなかった。
そのいろんなことを
「しないといけないことだから」
そんな思いでがんばったんだと思う。
休日とは違う生活。
たしかにそれはわたしなりにがんばったこと。
まだ心には響かないでいるけど、頭での認識はできること。
さて最初の問題。
自己肯定感とは一体なんなのか。
自己肯定感が、ありのままの自分を認める力のことだったなら、自己否定をしてしまう自分をも受け入れることではないのかなぁとも思ってしまうんです。
きっとそれは屁理屈なんだろうけど。
それでも、自分を褒めることができない自分を否定して、がんばったと褒めることが本当に自己肯定感に繋がるのかと疑問に思ってしまう。
いまの本当の自分を否定して置いてけぼりにしてしているだけではないのかと。
きっと、本当は否定してしまう自分でさえもそれでいいと認める力。
どんなわたしでもわたしでいいと、わたしだからいいと認める力。
考えること、決めること、行動すること。
いつだってわたしたちは色んな選択をしています。
大きなものから、気がつかないようなささいなものまで。
日常は選択の連続なんだと思う。
しかし、ではその選択はどうやって判断しているのか。
目で見たとき、耳で聞いたとき、触れたとき。
色んなときにしている判断は、生まれたときからそう判断できるわけではなく、積み重ねからきています。
赤色を見たときに、赤色と認識すること。
電話がなったときに、電話の音だと認識すること。
暖かい、冷たい、固い、柔らかい。
その色んな認識は、経験からきていること。
そこに自己肯定感や認知の問題があらわれてくるんだと思う。
意識よりももっと下の土台の部分がある。
お医者さんに言われた、当たり前に思える自分の毎日を褒めるということは、わたしはまだ意識しないとできないことです。
意識をしても、それは思い込ませる作業に過ぎなくて、そんなことないと思う自分がこころのなかにはいる。
まだことばの認識の段階でしかなくて、感情に結びつかない自分がいる。
それでもきっと、今は繰り返し自分に教えていくことが大事なんだと思う。
今日できたことも、明日は失敗してしまうかもしれない。
今日褒められても、明日はできないかもしれない。
それでも、花丸にはならなくても0点ではないはず。
マイナスではないはず。
自分を否定してばかりいることも本当だけど、そんな自分がいることも本当だけど、がんばった自分もちゃんといることも本当なはずだから。
今日も1日、がんばったね。
お疲れさま。
わたしががんばったから、今日のわたしがいたよ。
今日できたことがたくさんあったよ。
まだことばでしかないかもしれないけれど、少しずつでも、がんばったわたしを無視しない練習をしていこうと思います。
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