笑い袋(短編小説)/ 倉田そら
笑い 特価 590円
ある日、スーパーのすみっこに、こんなものが売られていました。
二年生の しょうた君がそれを見つけたのは、夕方のことです。お母さんと一緒に、お買い物に来ている時でした。
「笑い…って?」
それは、奥のほうの棚に、ぽつんと一つだけ置かれていました。
ごく普通の茶色い紙袋で、口の部分は二回ほど折り曲げられ、ホチキスで無造作に留められています。
袋には手作りの値札が貼ってあり、「笑い 特価590円」と書かれていました。
「ねね、お母さん。これなあに?」
しょうた君は、お母さんに聞きました。しかし、お母さんは買い物に夢中で、こちらを見もしません。
「お母さん、ちょっと…もう」
しょうた君はあきらめ、もう一度、紙袋を見ました。紙袋は何が入っているのでしょうか、ちょっぴり膨らんでいました。
しょうた君はそっと手を延ばしてみました。すると、あとちょっとのところで、袋は消えてしまいました。
「えっ?!」
しかし、消えたのではありませんでした。
しょうた君と同じように、お母さんとお買い物に来ていた知らない男の子が、横から取ってしまったのです。
男の子はお母さんの買い物かごに紙袋を勝手に放り込むと、行ってしまいました。
「あーあ」
しょうた君は、ちょっと触ってみたかっただけなのでしたが、なんだかものすごく損したような気がしました。
とても大事なものを逃したような、そんな気がしました。
「しょうた、ほら行くわよ」
お母さんがしょうた君の腕を引っ張ったので、しょうた君はしぶしぶ、その場を後にしました。
さて、その日は宿題をやっていてもテレビをみていても、ご飯を食べていても、しょうた君はその笑い袋のことが、気になって仕方がありませんでした。
「笑い、って、何だろう…」
笑えるギャグがいっぱい書いてある紙が入ってるのかもしれない。
この間、クラスのまいちゃん、面白い人が好き!とか言ってたぞ。
それとも何か、くすぐったくなるような薬でも入ってて、ゲラゲラ笑っちゃうのかなあ。
笑えるマンガが入ってるのかもしれない。
開けたら「わっはっは!」って誰かの笑い声が聞こえてくるのかな?そんな袋があるって、どっかで聞いたような気がしたけど。
そしたら帰り道、まいちゃんの目の前で開けて、びっくりさせたいなァ…。
考えれば考えるほど、しょうた君は笑い袋が欲しくなってきました。
「でも、最後の一個、買われちゃったし…」
はあ~。
しょうた君があんまり何度もため息をつくので、お母さんは心配して、風邪薬を飲ませ、早々と布団に寝かせてしまいました。
二年生のしょうた君には、590円は安いお金ではありません。たとえ明日、それがスーパーにまだ売っていても、新幹線の形をした貯金箱の中身で足りるでしょうか。
だってこの間、貯めたお年玉でゲームを買ってしまったばかりだったのです。
しょうた君はそっと起き出して、机のところにある貯金箱を手に取りました。そしてお母さんに気付かれないように、また布団にもぐり込みました。
そっとゴムのフタをはずし、中身をシーツの上にばらまきました。
「いち、にー、さん、しー…」
ええと、100円が4枚と、10円玉が11枚と、5円玉が5枚。1円玉が5枚…
「足りない…」
ずいぶん時間をかけて、一所懸命数えてみたのですが、どうしても540円しかありません。
「ええと、50円足りないや…。」
しょうた君は、がっかりしました。
次の日。
どうしても気になり、しょうた君は学校が終わってから、一人でスーパーに行ってみました。
「あっ!!」
驚いたことに、昨日と同じ場所に、
「笑い 特価590円」
と書かれ、紙袋が売られていたのです。
「でもぼく、買えないや。」
しょうた君は、しばらく売れてしまわないか見ていましたが、あきらめて家に帰りました。
「お母さん、50円ちょうだい。」
しょうた君は、お母さんに頼んでみました。
「何に使うの?」
しょうた君は、答えられませんでした。
「笑い」を買いたいからなんて、言いにくかったのです。ましてや、大好きなまいちゃんを笑わせたいだなんて、恥ずかしくて絶対に言えません。
次の日も、その次の日も、しょうた君はスーパーに通いました。
そのたびに「笑い」は「特価590円」で、たった一つ、売られているのでした。
ある日のことです。
いつものようにしょうた君がスーパーに行くと、「笑い」がありませんでした。
「あーあ、とうとう売れちゃたんだ…。」
しょうた君はがっかりして、握りしめていた540円を眺めました。汗ばんだ手のひらには、金属の匂いが染み付いていました。
このお金でアイスでも買おうかな…と思い、帰りかけたそのときです。
「あ、あった!」
そのスーパーには賞味期限の切れそうなものや、しなびかけた野菜などを安く売るコーナーがありました。その棚の片隅に、ひっそりと置かれていたのです。
笑い 超特価 540円
「安くなってる!」
しょうた君は小躍りして、紙袋を手に取りました。思ったより軽く、ふわふわしているような気がしました。
レジに行くと、しょうた君は、握りすぎて生温かくなったお金を渡し、紙袋を受け取りました。
「やった!ついに買ったぞ!やったあ!」
帰り道、しょうた君は我慢できずに全速力で駆け出しました。
なまぬるい風が、ほほに当たりました。
紙袋は風になびいて、ガサガサ鳴っていました。
「ただいまっ!」
しょうた君は玄関に飛び込みました。
お母さんが何か言いかけましたが、耳に入りません。笑い袋を体で隠すようにして、自分の部屋に駆け込みました。
「はあ、はあ、くるし」
荒い息を静めようと、じゅうたんの上に座りました。
締め切っていた部屋は空気がどろんとしていて蒸し暑く、しょうた君の腕や短パンから出ている足が、チクチクする感じがしました。
もう待ちきれません。ホチキスで留まった袋の口をバリッとあけました。
そして、そっとのぞきこもうとしたときです。
トットットットッ…
「お母さんだ!」
お母さんが階段を上がってくる音が聞こえました。お母さんはいつもノックもしないで入って来るのです。
しょうた君は慌てて袋の口を折り、隠し場所を考えました。どうしよう…どこにしよう…
「しょうたッ!」
声と同時に、ドアが開きました。
「なな、なあに?」
そのとき、袋はしょうた君のお尻の下にありました。ぐにゅっとした感触で、何かやわらかいものが入っている感じがしました。
「外から帰って来たら、うがいと手洗いしなさいって、いつも言ってるでしょ!」
「はあい…うわっ!!」
「え、何?どうしたの?」
「い、いや、なんでもないよ。」
そのとき、袋がしょうた君のお尻の下で、もぞもぞ動いた気がしたのです。
「それから、おやつがあるからね。アイス」
「わかったよ。」
お母さんは、階段を降りて行きました。
「もお。いっつもドアを開けたまんま、行くんだから。」
しょうた君はドアを閉め、袋を眺めました。
お尻でつぶしてしまったので、袋はぐしゃぐしゃになってしまいました。
「あーあ、もう。お母さんっていつもタイミング、悪いんだよなあ」
しょうた君が再び袋の口を開けた、そのときです。
シュババババッッ!!
何か真っ白いものが、袋から飛び出してきて、すごい速さで天井にぶつかりました。
そしてそれは、ぶら下がった蛍光灯の下あたりで突然止まり、そのままぷかぷか浮いていました。
「!!!」
それは、マシュマロをもっとやわらかく、トロトロにしたような感じの、握りこぶしほどの丸いものでした。
見ているとぐにゅぐにゅと形を変え、真ん中にみるみるうちに穴がひとつ開きました。それがどうやら口のようで、突然しゃべりだしました。
「ワライ、ホシイ?」」
しょうた君はびっくりして、固まっています。
「ワライ、ホシイ?」
その白いものは、もう一度しょうた君に聞いてきました。
「ううう…」
「ウウウ、ジャナクテ、ワライ、ホシイ?」
「…」
「ソッカ、イラナイノ?」
「あああ、…ううん、いるいる!」
「ナンダ、ヤッパリ、イルノ?」
「うん!」
「アソ。ワカリマシタ。」
言うが早いが、その白いものは、全速力でしょうた君のほうに向かってきました。
そしてあっけにとられたしょうた君の、あんぐりと開いた口の中に、スポン!と飛び込みました。
!!!
ゴクリ!
「お忙しい所どうもすみません、有難うこざいましたー。またよろしくお願いしまーす。失礼致しまーす」
二人組の雑誌記者とカメラマンが、何度も頭を下げながら出て行った。
とある民放テレビ局の楽屋。
三十代半ばを過ぎた男が二人、畳の上に座っている。
「あー、ねむ。俺ちょっと寝るわ。」
「おう。」
一人の男は仕立ての良いスーツとワイシャツを脱ぐと、近くにあったラックに掛け、ジャージに着替えた。
それから、うーん、と伸びをしながら畳に寝転がり、目を閉じた。
しかし最近は昼も夜も無く忙しい。体に疲労が溜まり過ぎていて、かえってすぐには寝つけなさそうだ。
そんなときは頭の中をいろいろな思いがめぐる。
『現在大人気で、飛ぶ鳥を落とす勢いですねえ。お笑い芸人を目指したきっかけは?』
取材を受ける度に、必ずと言っていいほど聞かれる、この質問。
「はい。小学校二年のときに、笑い、がスーパーに売ってて、お小遣いで買ってきて袋を開けたら白いものが出てきて、飲み込んだら面白い人になったんですよー。あ、相方も同じっす。わっはっは」
真実でもつまらないギャグと思われるから、口が裂けても言えない。
(おわり)