一言
お久しぶりです、宙乃です。毎回お久しぶりになっています。ようやくnoteに慣れてきました。いつも読んでくださりありがとうございます。
3月に入り、卒業しました、卒業できます、というメッセージをよく見るようになりました。そして、合格しましたというメッセージをよく見るようになりました。受験期がんばって!からおめでとうに変わる瞬間です。私もたくさん励まされて支えられて受験期を乗り越えました。
受験期、高校の先生に「受験は団体戦」と言われました、でもそれは私には苦しかった。皆が頑張ってるから一緒に頑張らないと!という意味で受け取りたかったけど私にはできなかった。皆はがんばってるのに私だけが置いていかれてる、それを自分に認めさせる呪いの言葉だったように思います。学校のコミュニティではなく、ネットで私が築いたコミュニティでは「今まで頑張ってきてたもんね」という言葉をかけてくれるともだちが沢山いた。この言葉は私にとって魔法の言葉です。遠くても、実際にそばにいなくても頑張ってたっていうのを他人から言われると、私も頑張れてたかもしれないって思えるようになるんですよね。他人に提示してもらうことで頑張った事実が自分の中にうまれます。逆に、1人で抱えて取り組んでると、潰れてしまう。昔はこうなってしまうのが自分だけだと思ってた。でも、伝える機会がないだけ、みんなそうだったんだなって受験期を終えてから気づきました。だからこそ今日、ともだちには「がんばってたの見てたよ、おつかれさま」って伝えました。すると、その一言で頑張れたよ。と返ってきました。嬉しくなりました。その一言で。という言葉がこんなにも嬉しいのかと少し驚きました。
言葉ってたった一言でも誰かに刺さっています。プラスもマイナスも、両方です。自分が言われて嫌なことは言ってはいけません、小さな頃からまわりの大人たちに言われてきました。もちろん間違いではない。でも自分が言われて嬉しいことも誰かを傷つけるかもしれない。誰も傷つけない言葉なんて、ありません。考え方や感じ方が違うのだから、当たり前です。自分に投げかけられたマイナスだって、悪気はないんだろうなって受け流すしかないです。このnoteだって誰かの心を苦しめてるのかもしれない。色々な考えに触れて受け流したり受け取ったりしていくことが大人になることなんだろうなと無理やり考えたり、でもやっぱり誰かに味方についてほしかったり。自分だけってやっぱり不安で、誰かがいるだけで不安が軽くなったりすることもあります。人間関係めんどくさいから諦めたい、気持ちなんてわからない、その考え方もアリなのかもしれません。不安になることは悪じゃない、と言いたい。まだまだ言いきれないので難しいところです。
あなたの一言が私を潰すきっかけだったことも、あなたの一言が私を救ったことも事実です。もちろんそれは逆もあって、私からの言葉もあなたを追い詰めたし、救ったことがあったかもしれない。それはわかりません。とりあえず自分の感情を大事にするしかないんです。嫌いな時はきったっていい。そう言い聞かせながら明日も頑張らないと、きっと頑張らなかったことを後悔します。できれば、自分の言葉が少しでも誰かに手を差し伸べられているなら嬉しいなと。人を守れるくらい強くなりたい。
いろいろ考えましたが、まだまだ難しいことばっかりです、今日もここまで読んでくださりありがとうございます。読んでくださった、画面の前のあなた、今日も1日お疲れ様でした。
明日が今日より大人になれますように。
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