車のいろは空のいろ
車のいろは空のいろ
あまんきみこ 1968年刊
『白いぼうし』
「これは、レモンのにおいですか?」
ほりばたでのせたお客のしんしが、話しかけました。
「いいえ、夏みかんですよ。」
信号が赤なので、ブレーキをかけてから、運転手の松井さんは、にこにこしてこたえました。
空色のタクシーには、なぜか不思議なお客さんが乗り合わせることが多い。
空色のタクシーの運転手、松井五郎さんの体験談八篇が収められています。
第一話「小さなお客さん」
車好きの赤いズボンの兄弟をタクシーに乗せた。「きつねの毛」がのこされていた。
第二話「うんのいい話」
釣り人を乗せて夜の道を走っていたら、タクシーはいつのまにか海の中にいて、周りを魚が泳いでいた。
第三話「白いぼうし」
少年の帽子の下から蝶を逃してしまった松井さんは、代わりに夏みかんを置いた。女の子が乗ってきて車を早く出して、とお願いをする。
第四話「すずかけ通り三丁目」
空襲で子供を亡くした母親を乗せて走っていくうちに、戦前の町に着く。
第五話「山ねこ、おことわり」
親孝行な山ねこの医者を乗せて、山奥を目指して走る。
第六話「シャボン玉の森」
道の真ん中で、シャボン玉遊びをしている女の子を道端にどけたら、松井さんの体が小さくなってしまう。
第七話「くましんし」
松井さんが忘れ物の財布を届けたところ、お客の紳士が、自分は北海道の「こたたん山」で生まれた熊で、人間に故郷を追われたのだと語る。
第八話「ほん日は雪天なり」
狐の雪祭りに遭遇した松井さんは、狐たちに「人間に化けるのがうまい」と褒められて商品の油揚げをたくさんもらう。
不思議な場面をどのようの解釈するか。読者の空想力が広がる
人間ではない生き物が、人間の姿や感情を持って現れる。物語の最後に空色タクシーに残された「きつねの毛」「ふるえる手」「夏みかんのにおい」が非現実的な出来事が、現実であったと証明している。
それを踏まえて読み進める。第四話「すずかけ通り三丁目」では、松井さんは乗客とともに「むかしのうち」を訪れ、空襲で亡くなった子供たちの笑い声を聞いている。過去へ行った事が「現実であった」と証明している。ただし、第三話までと大きく違う悲しい余韻は、戦争は「非現実的な出来事」では無かったことです。松井さんの体験が、切なさと苦しみを湧き立て、読者の知らない「戦争の傷跡」を感じることができます。
そして第五話以降は、人間という生き物の感情表現と、その人間と動物の共生の難しさが描かれています。
なぜ、空色タクシーの運転手「松井五郎さん」には不思議なことばかり起きるのでしょうか。松井さんは、
「非現実」と「現実」の間を。
「人間」と「動物」の間を。
空色タクシーで行き来しているのではないのだろうか。
松井五郎さんは、両方の世界に住むことができる「不思議な」生き物なのだ。
なぜ?・・・第八話を深く読み込んで、もしかしたら、なんて空想をすると。
見えてくるのです。「現実であった」という不思議を感じるのです。
僕も松井五郎さんに近づいてきたのかも知れない。
空色タクシーの運転手になりたい。
・・・もしかしたら・・・
・・・「おしりがむじむじ」して
・・・「しっぽのことが気になりだした」