里の秋
🎹『里の秋』
作詞:斉藤信夫
作曲:海沼實
1番)歌い出し
静かな 静かな 里の秋
2番)歌い出し
明るい 明るい 星の空
3番)歌い出し
さよなら さよなら 椰子の島
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作詞者「斉藤信夫」(千葉県山武市出身)。小学校の教職のかたわら詩を教材雑誌に投稿していました。雑誌で作曲家「海沼實」の存在を知り、海沼と面談をしたのちに手紙を交わします。1941年12月8日の日米開戦で愛国心が高揚、「身も心も日本のために」と感涙しながら書き上げた詩の『星月夜』の内容は、戦意高揚の歌詞でした。これを海沼に郵送しましたが、返事はありませんでした。…斉藤信夫は終戦を境に自分を反省し、教職を辞めてしまいました。
「星月夜」
3番)歌い出し
きれいな きれいな 椰子の島
4番)歌い出し
大きく 大きく なったなら
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松代町出身の「海沼實」は戦争中、多くの歌手や作詞家、作曲家らが東京を離れ疎開する中、毎日のようにNHKスタジオに通い、童謡を放送し続けていました。終戦を迎え、海沼は放送局からラジオ番組『外地引揚同胞激励の午后』に使う曲を依頼され、要望に合った歌詞を探して見つけたのが「星月夜」でした。そのままの歌詞では使えないと判断した海沼は、すでに教師を辞めていた斉藤に電報を打ちます。受け取った斉藤はすぐに海沼に会いに行き、「星月夜」の歌詞を書き変える作業を始めますがうまく結びつきません。それでも、と苦労してかきあげ、海沼へ渡します。放送当日に完成。曲名が「里の秋」に変えられたのも放送当日でした。かくして1945年12月24日午後1時45分、『里の秋』は当時小学5年生の川田正子の声に乗って全国に流れました。
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放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組『復員だより』の曲として使われました。このラジオ番組は月〜金曜の午前と午後に放送され、多くの人がこの放送に耳を傾けていました。後番組の『尋ね人の時間』と合わせて、9万9000件以上を紹介し、そのうち約1/3が再会までたどり着いたとされています。
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「海沼實」
1909〜1971
長野市松代町出身
戦争中はNHKラジオ番組にて童謡を放送し続け、終戦直後の混乱期には、戦災に苦しんでいる子どもたちを励ます一心に、多くの童謡を発表しました。