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きじも鳴かずば

📙『きじも鳴かずば』

🪶「まんが日本昔ばなし」
1976/5/15 放送
🪶「日本の民話1」
信濃の民話
(題名「おしになった娘」)
1957 瀬川拓男・松谷みよ子

🫘
犀川という川のほとりに、小さな村があった。川は毎年秋になると氾濫し、村人を困らせていた。この村に弥平という父親とお千代という娘が二人で暮らしていた。お千代の母親も先の洪水で亡くなってしまっていた。ある年の秋、お千代は重い病にかかるが、貧乏なので医者も呼ぶことができない。お千代は「あずきまんまが食べたい」と言う。お千代の母が存命だった頃に一度だけ家族で食べた思い出の料理だった。お金のない弥平は、地主の倉から米と小豆を盗んで、お千代に食べさせてやった。その甲斐あってか、お千代はすっかり良くなった。お千代は父親が畑仕事に出かけているあいだに、手まり歌で「あずきまんまたべたでな」と歌ってしまう。その夜からまた雨が激しくなり、村人たちは咎人を人柱にしようと相談しあった。「この村には咎人はいない…どうしたものか…。」そこでお千代の手まり歌を聞いた者が、弥平が地主の倉から盗みを働いたことを話す。弥平の家に役人が押し寄せた。怯える千代に対して弥平は「すぐかえってくるで、心配せずに待ってろや。」…「おとう!おとう!」…。

🖋️
「久米路橋」
往古神仙降りて架橋したという橋は、犀川の両岸絶壁碧潭に架かる様から何時誰が言うともなく「久米路橋」と呼ばれてきた。(現在は下流に水力発電所ダムがあり、湛水のため昔日の面影は薄れている。)犀川水系中流域で最も狭く、古来より何度も橋が架け替えられている。江戸時代には松代藩領内第一の大橋にして名橋だった橋は、その形状が曲民に似ていたことから「水内の曲橋」「撞木橋」ともいわれていた。県歌「信濃の国」に「心してゆけ久米路橋」と歌い込まれている。

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