文章を書きたくなったわけ
突然、文章を書いてみたくなった。
なぜ書きたくなったのか、今、思うことを書いてみる。
私は話すことが得意ではない。
うまく話そうとしたり、相手にわかりやすく伝えようとすると言葉に詰まる。夢中になって話していると、途中から何を話したかったのかわからなくなる。相手が困っている表情を何度となく見てきた。バカにされている気がして、どんどん話すことが怖くなっていった。
もとをたどれば、それは私の小さいころの境遇にいきつく。
私は新潟県にある田んぼが広がるところに生まれた。
近くのコンビニまで車で5分。
田舎が嫌だと思ったことはないが、生きることが嫌だとは思っていた。
家を出たいという欲もなかった。
中学の頃に学校で初めて英語を学び、英語が大好きになった。とにかく楽しかった。高校に入ると文系のクラスを選択し、ますます英語に力を入れた。面白くて好きだったおさるさんみたいな先生に「和英辞典をとにかく使いなさい」と言われ、破けるまで使おうとした。(破けなかったけど。)
そして、高校2年の夏、学校に置いてあったあるパンフレットを見つけた。
「オーストラリアへのワーキングホリデー」
もう行きたくて仕方なかった。家に帰り、ドキドキしながら母に見せた。
どんな反応か忘れたが、父に聞いてみないとわからないという感じだった。
その夜、リビングにいる父に呼ばれた。
怖さで、ひゅんと喉が鳴った。
そう、この父との関係で、私は一時期話すことが極度に苦手になったのだ。
自分の想いを、考えを話そうとすると、声が出ない代わりに涙が出るのだ。
基本的には「対父親」にのみ出てくる症状なのだが、他の人に関しても、自分の本音を打ち明けようとするときに同じ症状が出てくることがあった。
話を戻そう。
父に呼ばれて座布団に座った。
質問された。なぜ行きたいのかなど色々と。
でも、どうしたって声が出ない。伝えたいことがあるのに、全く声を発することができない。代わりに涙は止まらなかった。
話し合いにならず、何時間か経過し、最後に母が止めに入る。
「明日も学校だから…」と。そしてお開きになった。
そんな中で、父が言った言葉で二言だけ覚えている言葉がある。
「海外に行くなら、二度と戻ってこれないと思って行け。」
「自分で貯めたお金で行け。」
その後私はオーストラリアへ行くことはなかった。
賛成されなかったから、簡単に諦めたのだ。
いや、正しくは、父に何も言えず、私は私に失望したのだ。
実のところ、物心ついた頃から今現在に至るまで、まだこの症状から脱していない。
そもそもこの現実に向き合いはじめたのは3年前くらいからだ。
毎年実家に帰省していたが、コロナの流行がきっかけとなり、「自分のために」帰省することを辞めた。
過去を振り返ることは3年前までしてこなかった。
悲しさと、悔しさと、絶望を、感じたくなかったからだ。
でも、今、私は生きている。
こういう過去のぐちゃぐちゃしたものを、もう一度体感している。
なかったことにして、蓋して生きる道もあったけど、過去の私が「助けて」と言ってる気がして意を決して「振り返ることを決めた」…ような気がする。
だから私は過去と向き合うために文章を書いているのかもしれない。