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不勉強な自称善人が発達障害人を苦しめる

明らかに発達障害の症状を呈している人に対して、簡単に否定の言葉を投げかける人が結構います。

迷惑極まりない。

専門家でもない、ましてや当事者でもなく自分で勉強をしたわけでもない人たちが、最も簡単に当事者にそんな言葉を投げかける。

発達障害の当事者は、症状が重いほど、生き辛さを抱えている。自分が発達障害だと診断されて安堵するケースも少なくない(そこからの戦いもあるのだけれど)

慢性的な疲労、情緒不安、鬱症状、代謝異常なんて幼い頃から抱えている。常に日常のあらゆるところに気合を入れないと取り組めない。そんな人たちに「なんでこんなこともできないんだ、気合いが足りない、だらしない」と罵声を浴びせる。僕も何度も言われてきた。僕は子供の頃から生欠伸が止まらなかった。慢性的な各症状もずっとあった。大人になってから少し改善したが根本では抱えている。

周りと同じように努力しても結果が出ない。普通の人にできることができない、仮にできても発狂したくなるようなストレスが常に溢れてくる。

そんなわけもわからない症状の原因がわからず、普通になれない自分を責め続ける地獄に比べれば、原因がわかったほうが納得できる。対策も打てる(その対策の数が多いことには疲れるが)

困ったことに、簡単に否定してくる人の多くは、身近にいます。家族、友人など。ではその人たちは何をもとにして否定の判断をしたのか。

主観です。それも知識なし、少ない人生経験、少ない対人関係で構築された経験則をもとにして(もっと困るのは、体づくりの重要性を医者が理解してないことも多いということ=家族やデイサービスの現場でも認知されていないことが多いみたい)

人間である以上、主観は仕方がない。ただ、まともな知識なしの主観は危険な刃であることを自覚していない。

発達障害当事者は、医者からも診断されている、本人も自覚している、なんなら診断されて安堵するくらい苦しい。それなのに周りは知識もないくせに否定してくる。

それがどれだけ凶器のような言葉なのか周りは自覚していない。

発達障害の分類、それぞれの特徴を説明もできないくせに、否定だけはしてくる。そのベースは主観です。

彼らの多くは自閉症か定型発達かで、しかも自閉症のまともな知識なしに判断しています。

それが家族や友人にもいるわけですから、発達障害人はますます苦しくなります。

知識が現状ないことは仕方がない、だがせめて、当事者を否定するなら、勉強してからものを言ってほしいと思う。

ヘルニアで腰を痛めて医者からも診断されて苦しいのに、他人から「そんなの気にしすぎだよ」と気楽に言われたら怒りたくなるでしょう?
同じことをしているんですよ。

発達障害はタイプにもよるけど、見た目に本人のしんどさが現れないことがある。僕も20代の頃まではどんなに寝不足でも目の下にクマができなかったので、えらい目にあったことが何度もある。疲労に気づかれない、説明しても理解されない。余裕があると思われる。僕からすれば、見た目に気を遣ってる余裕なんてないし、正確に伝わるならクマができたほうがマシ。

周りからは「クマができなくて羨ましい」と言われるが、そのせいでどれだけえらい目にあったか、それを説明しても聞く耳ももたない。そのくせ、テメェの苦労話だけはしてきやがる。

結局、その話を渋々聞いているうちに、発達障害人は生きてるだけでストレス過多なのに、さらにストレスが蓄積して心身ともに悪化の道を加速させる。

ますます生き地獄になる。

周りの一時的な優しさ(単に勝手に期待してるようなことが多い)は、やがて叱責や罵倒へと変わります。

なんとか生きる術を探すようになります。

そのための才能を発揮するための最低限の行動さえ、できる体力が残ってない中で、頑張れと言われる。(才能は始めはそこまで突出してないことが多い、訓練が必要という意味で)一般適応も難しい。常に抗えない中でひどく地球にいじめられてるようなものです。

発達障害=地球との適応障害
みたいなものです。(これから変わっていきます)

せめて発達障害であることを否定するなら、多少は勉強してからものを言ってほしいと思う。

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天翔
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