日記:イエスという男 逆説的反抗者の生と死(田川健三)読書はじめの所感
「イエスはキリスト教の先駆者ではない。歴史の先駆者である。」(イエスという男 逆説的反抗者の生と死/田川健三/1980/第一版)
新月の4月1日。なんだか吹っ切れた気持ちになれる組み合わせです。昨日届いた「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」。未読本がたくさんの積読派ですが、どんな本かを掴むために、いつもまずは軽く読んでみます。
平易なのに読みごたえのある内容
平易な語り口でとても読みやすい本です。(比較として現在読書中の清沢満之著作集は、内容もさることながら、文語調の文章なのでコツコツと登るかんじ)。読みやすいけれど内容は伝えたいことの密度と熱量が高く、読み応えがあります。著者の「伝えなくては」という声が聞こえてくる渾身の一冊といった観。
第一章だけでも、第一節だけでも、第一文からすでに
1980年初版本ですが、キリスト教に関して無知同然の私にはいちいち驚く内容ばかり。ちょっと読むつもりが、あっという間に第一章を読み終わりました。第一章は「逆説的反抗者の生と死」。本の副題でもありますね。まさにイエスは徹底した先駆者であり、ということはつまり社会の反抗者だったのだと。そして反抗者であるが故に処刑され、死後はその言動が骨抜きにされて秩序に組み込まれたのだと。それがキリスト教だと一気に語りかけてきます。
先に引用した、冒頭の堂々たる第一文は、それだけで著者と読者を本書の最後まで牽引する力強さと、先に先にと走り出すような推進力に満ちています。
あっという間に読んでしまうのがもったいないなあ、イエスという男がどのように生きたのか、刻みつけるように読むべきかもしれません。
秩序に組み込まれることへの視座
私がこの本を知ったきっかけは安冨歩さんの一月万冊動画です。安冨さんのお話や本には、出会った前と後で見える景色が違う、そういう感覚があり、目下、私の「知りたい」を追う道標とさせてもらっています。そういった流れにおいて、まさに私が知りたいメインストリームの一つです。体制の秩序を剥ぎ取っていく(せざるを得ない)男性の姿と、彼もその内部である秩序の有様が眼前で繰り広げられる。以下の一文には、私も内在化している秩序の生々しい生態を感じます。
「体制への反逆児が、暗殺されたり、抑圧による貧困の中で死んでいったりしたあと、体制は、その人物を偉人として誉めあげることによって、自分の秩序の中に組み込んでしまう」
※私は上の本を購入しましたが、第二版増補もあるようですね、違いはまた調べてみるかも
今日はいよいよ桜が満開でした。寝不足だったのにまた寝不足に。平日にお休みをとって金融機関に行ったり、市役所に行ったり、病院に行ったり、買い物をしたり、春特有のソワソワ感のある日
(日記:2022年4月1日)