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日記:2004年初版本なのに的を得た批判も読める:「キリスト教思想への招待」田川健三

ようやく第二章「やっぱり隣人愛」に入りました。
言葉や論を飾らない文章が読んでいて気持ちいのは、「イエスという男」と同じです。

第二章で分かりやすく出てきた特徴として、やはり2004年初版の本だけあるということです。随所に現代日本への批判が登場します。「イエスという男」でも現代社会への批判が語られましたが、こちらは初版1980年。社会背景が過去のものとなっています。もちろん普遍的なことを語っているので、全く意味のある批判ではありますが。。。

一方のこちら「キリスト教思想への招待」に出てくる批判は、今年書かれたのかと思われるような内容。そしてとても的を得ていると感じます。

2004年初版といえば、20年前。本当は、「イエスという男」と同じく社会背景が過去のものとなっていてもおかしくないのですが、そうなっていないということは、田川さんの批判の的確さはもちろんですが、そら恐ろしいことだなと呆然とします。

要は20年前に語られた批判が的を得ていて、それがそのまま今まで続いているということです。おそらく当時よりもっと表面化している(ということは浸透している)のだと思います。

それはさておき、本の主旨はタイトル通り、「面白い点、すぐれた点をいくつか拾ってお目にかけよう、そういうものが見える地点にご案内しよう」(田川健三著「キリスト教思想への招待」iiより)というものです。

キリスト教思想を背景に西欧社会があるということも、よく分かります。そこから、日本と思想の土台が違うところで発達した社会システムを、日本が上辺だけ据え付けたんだなということも大掴みで実感できます。これが実感できることの意味は大きいんじゃないか。。。そうすることでこそ対処法も生まれてくるというもの。

同時に社会に宗教があることの意味についても考えさせられます。これも現時点の日本には、必要な視点ではないかしら。

文調が田川先生にほんちょっとですが引きづられています。
ちなみに昼間は、「ボヴァリー夫人」の翻訳調に引きづられていました。

引き続き読書をつづけます、おやすみなさい。

(日記:2022年11月23日)


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