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私はヒーローになりたい

こんばんは。空峯 千代です。

今日は1ヶ月ぶりに私の話を書こうかなと思い筆を執ることにしました。


本タイトルは「私はヒーローになりたい」

そうですね...。
""ヒーロー""と言われて誰を思い浮かべます?

麦わらの一味 モンキー・D・ルフィ。
木の葉隠れの里の忍び ナルト。
死神代行の高校生 黒崎一護。
万事屋を営む 坂田銀時。


まあ、小学校6年生から高校卒業まで週刊少年ジャンプを愛読していた人間なんで。ジャンプヒーローに偏ってしまう訳ですが。

私の中のヒーローの定義は""人のために自己を払える""人間なんですね。

それはその人の労力であり、金銭であり、時間であり、肉体であり、心である。
対象に対して自己を捧げることができる。それが私の考えるヒーロー像です。

そしてそんなヒーローになりたいと私は心から願うのです。


だって私はヒーロー

ササノマリイさん作曲の「自傷無色」を知っているかな?

私は結構好きな曲なのだけれど。

あの曲の個人的な解釈として「自分がいないことで成り立つ幸せ」がテーマとしてあるのだろうと想像している。

私は少し違う。
他人の幸福のためには自分の存在が不可欠なのだ。
けれどそれは私が誰かのために何かを施すのではなくて、誰かの不幸を私が肩代わりすることで他人を幸せにするという考え方。

どういうことかというと、だ。
""幸せは誰かの不幸の上に成り立っている""ことを仮定するとして。
ならば、私が誰かの代わりに痛みを全て呑み込んでしまえば誰かは痛みを受けなくて済む、ということにはならないかな?

私がその他大勢の誰かの""不幸""を全て引き受けてしまえば、その分の""幸せ"'は必ず誰かが受けられる。
私がいなければ成り立たない幸福なのだから、当然誇らしい。例えそれが自己満足だったとしても。

誕生の秘話

なんでこんなにも歪んだ思想を抱くようになったか、と言えば話は長くなる。 120分の映画が3本くらい撮れちゃうくらいにはね。
まるで、アメコミのヒーローのようなドラマチックな内容が私の21年に凝縮されているんだ。

これは、たまに少しずつエッセイとして書いていくけれど。この場では簡潔に済ませよう。


ハッキリ書くと、私は自分を傷つけた人間を嫌いになれない人間だ


21年、色々なことがあった。

たくさんの理不尽な言葉、行動、私をなじる人達、裏切る人達、不誠実な人達。
様々な人間に傷つけられたけれど、私を攻撃した言葉を、行動を、私は覚えている

古い記憶だと幼稚園の頃から昨日、今日の出来事まで全て思い出せる。
そして、おそらく一生忘れられないだろう

最近のものだと、そうだね。

とある人は言った。「俺が変えてやる。」と。
けれど、結果的に私を騙し手を離した。

とある人は言った。「私の休日になりたい。」と。
けれど、彼は私に幸せのひとときを与えた上で私の手を離した。

彼らのした事は許してはいけない
だって、私の事を騙したから。出来もしないことを私に言ったから。言葉に責任を持たなかったから。

でもそれとは別にこうも思う。「仕方がなかったんだ」と。

私に「変えてやる」と宣言した人は100%私に向き合うつもりだった。
けれど言葉を間違えた。そして、自分の1番大切な人と自分を守るために私に酷いことを言った。
しかしながら、考えの甘さと若さが入り交じった結果で、私を助けたい気持ちは本物だったのだろうと思う。

私に「君の休日になりたい」と言った人は私の気持ちに寄り添い隣にいてくれた。
けれど自分のポリシーである""誠実""と闘った結果、現実の問題と板挟みになり疲弊してしまった。
しかしながら、面倒くさがりの彼が問題と向き合い私とも向き合ってくれたのは事実だろうと思う。


そう。私は自分を傷つけた人間の気持ちを想像し、共感し、肯定することができる。
だから、私を傷つけたこと自体は許さないけれど私を傷つけた人は一生嫌いになれない

だからどれだけ理不尽な目に合おうと、どれだけ酷い言葉をぶつけられようと、私はただただサンドバックになるしかないのだ。
だって、相手の気持ちを理解できるのだから。もうそれは私が呑み込めば済む話じゃないか。


こうして私は、自己を傷つけた人間すらも理解し愛することのできるヒーローとなったのでした。まる。


ヒーロー""空峯 千代""

散々好き勝手に書かせてもらったのだけれど、最後にこれだけ言わせてほしい。


責任が取れないのなら言葉を使うな


自分の言った言葉に対して責任が取れないなら黙っていて欲しい。
言葉を放った相手にも、使われた言葉にも失礼だ。

私はここ1ヶ月でトラウマになっても可笑しくないくらい不誠実な発言を2度受けた
心臓が凍りつきそうなくらい痛くて。つらくて悲しくて淋しくて、そのまま消えてしまいたかった。

それでも、私を傷つけた人間を私は好きでい続けている
嫌いにならないんじゃない。なれないんだ。
心に致命傷を負わされても尚、私はその人達のことを嫌いになれない。
言われた言葉は一生残り続けるのに。

21年の出来事で人から傷つけられるのに慣れている
傷つかない訳ではないし、心の痛覚はちゃんとある。
傷口をひとつひとつ開いて眺めることも容易にできる。


その上で私は人から傷つけられてもその人が幸せでいられるなら自分を犠牲にしてもかまわない

もちろん人間だから。
限界はあるけれど、少なくとも自分に出来ないことは言わないし言ったならそれ相応の犠牲は払う。


これが、ヒーロー""空峯 千代""の在り方です。
ただの物書きで少し人より正直なだけですが、こんな私の事をどうか長い目で見ていただければと思います。

もちろん、私の考え方が正しいだなんてこれっぽっちも思ってはいません。全ては私のエゴです。

皆様はどうか幸せで健やかな日々をお過ごしくださいね。それでは。

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空峯 千代
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