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宜候 2022.5.18川口リリア
当時高校生で思春期真っ只中の私は、ラジオから流れてきた曲に身震いするくらい感動し、繰り返しその曲を聴いていた。
お年玉でアルバムを少しずつ買いため、どんどん彼の紡ぐ言葉と曲の世界観に魅せられていった。
それから程なくファンクラブが出来ることを知った私は、近所の郵便局からその手続きをしたのだ。
気づけば自分の青春を伴走してくれた大切な人の1人になっていた。
コンサートがあれば毎度行き、時に1番前で夢のようなご褒美の時間を過ごさせてもらうこともあった。
あれから30年以上が過ぎ、その間色々なことがあった。
両親が亡くなり、引っ越しをして馴染みのない土地にも住んだ。そこでも相変わらずコンサートには行っていた。
その彼自身や周囲も色々なことがあった。
その途中で私自身何回も泣き、ファンクラブをやめること、アルバムを買わないことを考えたこともあった。
けれども彼の根幹は何も変わっていないことを歌を通じて感じ、そしてそれを否定することは自分も否定することになるような気すらしていた。
何より私は彼の歌がどうしても嫌いになれなかったのだ。
そんな中30周年のアルバムリリースとコンサートが忽然と消えた。
随分と大人になった自分にも、今回はなぜそんなことになってしまったのか理解出来ず、ただただ困惑し過去の事件以上の悲しみが私の中につのっていた。
流石に今回ばかりはもうファンをやめようか。
新アルバムがリリースされても暫く買う気になれなかった。買ってからも、封さえ切られず部屋の隅に置かれたままだった。こんな事は初めてだった。
ようやく重い腰をあげて、アルバムを手に取り、本人の解説もファンクラブサイトで聴いた。
彼の語る言葉と音楽を聴いた時、自分の中に重くのしかかって封印されていた何かが、少しだけ溶けたような気がした。
この人はやっぱり歌が大好きなんだ。そして私はその歌が大好きで今でも必要なんだ。
このアルバムからは、決意のようなものも伝わってきた。
もう一度だけ、もう一度だけコンサートに行ってみようかなと思えた。
復帰2日目のコンサートは奇しくも彼の誕生日だった。
感染対策のためマスク着用で、歓声こそないものの、それぞれの想いのこもった拍手が会場中を包みこんでいた。それはそれは暖かい拍手だった。
舞台の上の53歳になった彼は、コンサート中深々と何度も頭を下げていた。そして2時間半心を込めて歌っていた。
彼は純粋で、ただただ歌の大好きなアーティストであることには変わりがなかったのだ。
今日のタイトルでもある、『宜候』は再出発に相応しい曲だ。彼の伸びやかな歌声と、バンドメンバーの方々の掛け声が、彼の船出を後押ししているようで見えない紙テープが見えたような気がした。