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【ガザ北部より】         「生きのびることと希望の物語」

はじめに

この物語は、ガザで教師になる夢を抱いて学んでいるハラさんの作品です。
彼女はオンラインで大学の勉強を続けており、学費や教材費の工面に苦労しています。
侵攻後の生活をつづった文章を世に出し、できれば収益を得て学業にあてたいと願って作品を託してくれました。

無料で全文をご覧いただけますが、最後にあるボタンから購入していただくと、全額彼女への支援になります。
また、彼女に直接寄付をすることのできるサイト(GoFundMe)のリンクも最後に貼りました。代行での寄付をご希望の方は、@SoraAndEda(Twitter)へいつでもお気軽にお声がけください。

ハラ『戦争中の私の生活』

第一章 打ち砕かれた夢🕊     Shattered Dreams

19歳だったとき、私はひとつのことだけを夢見ていました:
大学の門をくぐり、自分の未来を築くこと。
以前はトップの成績ではなかった私が必死に勉強して奨学金を勝ちえたのは、そのためでした。父の経済状況は、大学の学費をまかなうには厳しかったから。
奨学金がもらえたとき、夢を叶える最初の一歩を踏み出したように感じたものです。

When I was nineteen years old, I held onto only one dream: to walk through the university gates and build my future.
This is why I was not a top student in the past, but I worked hard to secure a
scholarship because my father's financial situation could not afford the university fees.
When I received the scholarship, I felt like I had taken the first step toward fulfilling my dream.

けれど、ガザでは夢は儚いもの。
私の大学に爆弾が落とされた日、まるで自分の未来すべてが崩壊したように感じました。
私の本たち、私の希望、望んでいた人生——一瞬で全部消えてしまった。
でも、私は諦めませんでした。精一杯頑張ってきました。
今はオンラインで学んでいます。この戦争に終わりがくるのかどうか、自分が生きのびられるのかどうかわかりません。でも、努力し続けます。

But dreams in Gaza are fragile. On the day bombs fell on my university, I felt
as though my entire future had collapsed.
My books, my aspirations, the life I wanted—all vanished in an instant.
However, I did not give up. I tried my best.
Now, I am studying online. I do not know if the war will end or if I will survive, but I keep trying.

高校を卒業した日のハラ。すばらしい成績で卒業し、前途は明るく開けたと感じていました。
上から順に「アラビア語 146点(150点中)」「英語 136点(150点中)」「数学 100点(100 点中)「歴史 100点(100点中)「宗教 100点(100点中)」「地理 93点(100点中)」「科学文化 99点(100点中)」「技術94点(100点中)」という成績!

第二章 戦争の始まり💥                         The First Days of War

戦争の最初の日々には、恐怖を、常に身近にいる仲間に変えてしまうという奇妙な力がありました。
筆舌に尽くしがたい悪夢。リンの臭いが空気中に充満して私たちを殺そうとし、無差別爆撃が家や生活を破壊していきました。
占領軍は毎日20軒以上の家屋を爆撃し、多くの人を殺しました。

The First Days of War has a strange ability to turn fear into a constant companion.
The first days were an indescribable nightmare. The smell of phosphorus filled the air, nearly killing us, while random bombings destroyed homes and lives.
Every day, the occupation was bombing over 20 homes, killing many people.

唖然とするような数だけれど、私たちはただの数字ではありません。
私たちは人間です。おびえ、生き残ろうとします。
こどもが死んでしまった母親たちの絶叫、負傷した母のための息子たちの祈り、瓦礫に埋もれ死んでいく父親たちの泣き声、焼かれながら助けを求めて叫ぶ少女たちの声が、どの瞬間も私たちにつきまとって離れませんでした。

The numbers were staggering, but we were not just numbers. We were human beings, terrified, trying to survive.
The screams of mothers for their children who had died, the prayers of sons for their injured mothers, the cries of fathers trapped under rubble until they died, and the screams of girls burning and begging for help haunted us every moment.

ハラの大学。上はかつての様子、下は現在の様子。ガザにあった大学は全て破壊されてしまいました。

第三章 もはや家は安全ではない💔🏠 
A Home No Longer Safe

ある日、コーランの暗記をしていたときのことです。
ロケット弾がうちの隣の家に命中し、破壊しました。それがもっとも恐ろしかった日。
誰も彼も家から飛び出してきて「逃げろ! 次のロケット弾が来るぞ!」と泣き叫んでいました。しかも、どこへ、どうやって逃げたらいいかわからないんです。ガスボンベが爆発するものだから空は真っ赤に染まり、窓は砕け散り、母は怪我を負いました。
もちろん家から逃げ出し、避難場所を求めて叔母の家へ向かいました。彼女は私たちが死んでしまったと思って泣いていました。
翌朝家へ戻り、なんとか片づけをしました。

One day, while I was memorizing the Quran, a rocket hit and destroyed our
neighbors' home. It was the most terrifying day.
Everyone ran out of their homes, crying and shouting, "Run! Another rocket is coming!" And you don't know where to run or how. The sky turned red because of an exploding gas cylinder, windows shattered, and my mother was injured.
Of course, we fled the house looking for shelter and went to my aunt's
house, where she was crying, thinking we were dead.
The next morning, we returned to our home and cleaned it up.

第四章 たえず避難場所を求めて💔
The Relentless Search for Shelter

家を追われたのが、もっともつらい日々のひとつでした。占領軍がすぐ近くにいたのです。
夜通し起きていて、破壊の音が近づいてくるのを聞いていました。朝になり、私たちは避難場所を求めて家を去りました。

The day we were displaced from our home was one of the hardest days. The
occupation was so close to us.
We stayed awake all night, listening to the sounds of destruction coming nearer. In the morning, we left the house looking for shelter.

姉の家で約2週間暮らしたのですが、その後すぐ前にある学校が爆撃されました。
私たちは警告を受け、急いで逃げました。もちろん、どこに行けばいいのかもわからず、避難できる場所も見つからないまま。
まる一日路上で過ごしました。三時間逃げたあと学校は爆撃され、姉の家も半分破壊されました。家電も、バスルームも、キッチンも。

We went to my sister’s house and lived there for about two weeks. Then, the
school in front of my sister's house was bombed.
We were warned and quickly fled. Of course, we didn’t know where to go, as
there was nowhere else to seek refuge.
We spent a whole day on the streets, and after three hours of running, the school was bombed, and half of my sister’s house was destroyed, including the appliances, bathroom, and kitchen.


第五章 ばらばらになった生活 
Life in Fragments

戦争は、生活の一片すら手つかずで残してくれませんでした。
まる一ヶ月、私たちはニンジンのほか何も食べるものがなく、母は毎日ひとりひとりに小さな皿を用意してくれましたが、みんなお腹がすいていました。
学校に身を寄せていた二か月の間、真水は手に入りませんでした。あったのは塩辛い水だけ。飲むにも洗うにもそれで、ときには牛乳と混ぜることさえありました。

The war left no part of our lives untouched.
For an entire month, we had nothing to eat but carrots. My mother cooked a small plate for each of us every day, but we were all hungry.
For two months, we stayed in the school, with no fresh water, only salty water to drink, wash, and even mix with the milk.

ある日、焼かれながら助けを求める女性の叫び声と、こどもが「ママ、病院、だれか、たすけて」と言っているのが聞こえました。
その少年のお母さんは、頭の裂傷から出血していたのです。
救急車が到着したのは、15分ほど経ってからのことでした。

One day, we heard the screams of women burning, asking for help, and the cries of a child saying, "Mom, hospital, anyone, help us," while his mother's head was bleeding from a crack.
The ambulance arrived after about 15 minutes.

第六章 忘れられないこと
Unforgettable Things

中には、どうしても薄れようとしない記憶もあります。
ある日弟がこんなふうに言っていたこと。「彼女の耳と、髪を見たよ。切り取られていた。ちいさな女の子だった」
亡くなった息子に別れを告げながら泣き叫んでいた母親のことも、私は決して忘れないでしょう。

There are memories that refuse to fade.
One day, my little brother came to me and said, "I saw her ear and hair cut off, a little girl."
I will never forget when a mother cried while bidding farewell to her son who had died.

戦争は何もかもを奪っていきました——私たちの家、私たちの安全、私たちの人間性も。
時が癒やすことのできない傷だけを残して。

War takes everything—our homes, our safety, and our humanity.
It leaves behind scars that time cannot heal.


第七章😣暗闇の中の光 
Light in the Darkness

けれど、もっとも暗い瞬間の中にも、優しさをかいま見ることがあります。
遠方の見知らぬ人々が——その多くは日本から——まるで私の人生の一部になったかのように支援と共感の言葉をかけてくれました。
占領を拒絶し、私たちのために叫び、あたかも彼らが一緒にそばにいるように心を寄せてくれました。
彼らの言葉は、私たちの傷に効く薬のようです。

However, even in the darkest moments, there were glimpses of kindness. From afar, there were strangers who became as though they were part of my life—most of them were from Japan—offering words of support and sympathy.
They rejected the occupation, cried for us, and felt for us as if they were with us.
Their words were like medicine for our wounds.

第八章 停戦を待ち焦がれて🕊
Waiting for a Ceasefire

私はもう、戦争前の私ではありません。
自分の人生は行きづまったと感じ、「停戦」という言葉が私の自由を取り戻してくれるのを待っています。
希望を持ち続けようと毎日努力しています。
この悪夢の先に、未来があるのだと信じて。

I am no longer the person I was before the war.
My life feels as if it is stuck, waiting for the word "ceasefire" to return my freedom.
I try every day to hold on to hope, believing that there is a future after this nightmare.

これが私の物語です——夢、喪失、回復する力、そして希望の物語。
私たちが単なる数字ではないこと——人間であることを、あなたにわかってほしくて語ってきました。
耳を傾けてくれますか?
私たちのことを、気にかけてくれますか?
私たちと、共に立ってもらえますか?

This is my story—a story of dreams, loss, resilience, and hope. I tell it so that
you understand that we are not just numbers—we are human.
Will you listen?
Do you care about us?
Will you stand with us.

ハラの勉強風景。ノートはいつも隅々までびっしりと書き込まれています。
小さなライトで夜遅くまで勉強します。この明かりが好きだと話してくれました。


暗闇の中の光
ついに教壇に立った日。準備のためのノートは書き込みでいっぱいでした。「勉強を続け、大学へ戻り、卒業し、生徒たちの人生によい影響とエネルギーを与えるすばらしい先生になる」ための、最初の一歩。

GoFundMeのリンク


お読みくださり、ありがとうございました。
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この短い動画は、ハラが「Twitterで応援してくれたみんなの頭文字をつないだブレスレットを作っている」ところです。
(材料のビーズは、姉のサマルが青空教室のレクリエーションに使った残りだろうと思います)

この記事のトップ画像で、ハラの手首を飾っているのがそのブレスレット。
わたしの心の一部がビーズになって共にいさせてもらっているような、そんな不思議な気持ちです。
遠く離れていて、爆撃も止められない、薬も食べ物も毛布も送れない、お金も少ししか送れない…それでも「できることはあるよ」とハラが教えてくれました。

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それもまた、彼女が生きのびて夢を叶える助けのひとつです。
それぞれにできるかたちで、応援に加わっていただけたらほんとうに嬉しいです。

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