しょうがないおじさんを想う。「ラスト・オブ・アス」
笑顔の練習をしている。
別にこれから変な哲学を話し始めたり、さらには壺を買ってくれなんて催促する訳じゃないから安心して欲しい。僕は元気です。
笑った顔が下手だ。よく「怒ってる?」なんて聞かれることも多い。
別に敵を作りたいわけでもないので、過剰に否定したりすると余計に変な感じになったりする。困ったものです。
人間関係の軋轢を最小限にするためには、視覚から訴えかけるのが効率的だ。
鏡の前で笑顔を作るのだが、目の前には不機嫌そうなおじさんがいるではありませんか。
しかも普段使わない筋肉を使うせいで、顔筋(?)が痛くて仕方ない。
無駄に笑顔の必要のない世界の方が、自分は向いているのかもしれない。
そんな笑顔が不必要な世界が、「The Last of Us」(ザ・ラスト・オブ・アス)だ。
急な舵取りに失敗したなとわかったけど、記録として残して置きたい。
ウィルスによって世界が崩壊した世界。娘を亡くしたおじさんジョエルが、ひょんなことから少女エリーと旅するサバイバルホラー。
「The Last of Us Part2」が出るということなので、改めて前作をプレイし直してみた。
萌えそうで萌えないしょうがないおじさんジョエル
このゲームは主にジョエルを操作し、感染者や略奪者をボコボコにしボロボロになりながら進んでいく。なのでジョエルに感情移入しながら進むのだが、このブチギレおじさんのしょうがなさがストーリーに絶妙な色を添えている。
例えばエリーが「守られてるだけじゃなく私も戦う!だから銃を渡してよ」なんて訴えるのですが、ジョエルは「ダメダメ、少女が銃なんてもったら危ないでしょもー」てな具合に却下する。
でもプレイヤーはジョエルの過去(一人娘のサラを亡くした)を知っているので、「ジョエルはエリーにサラを重ね始めてる。ジョエルは失う痛みを身をもって知っているので、過酷な世界では生きられない(はず)のエリーを自分のコントロール下に置きたい。でも言葉にするのは苦手(いやしろよ)なので、短絡的な怒りという感情を使って年端もいかない少女を言いくるめたい」と余白を補完する。
「あーもー案件」ですね。一人の人間として接して欲しいエリーと、もう二度と娘を亡くす体験はしたくないジョエル。このもどかしい葛藤が「あーもー」と言いたくなる。というかプレイ中は何回も叫んだ。
二人の旅はそのような出来事の連続で、その互いの心理的葛藤が織りなす重厚なドラマがただのサバイバルホラーゲームにとどまらない「プレイする映画」と評される所以なのかもしれない。
背中で語ろうとする口下手おじさんしょうがないなー、なんて温かい眼差しでジョエルに感情移入していたのだが、奴はそんな温かい眼差しを向けるような人物ではない。ジョエルは襲いかかるものは問答無用でぶっころがしていく。略奪者にも守らなければならない人がいるのだが、そんなものはお構いなしの暴れっぷりに操作しているこっちも「えぇ、そこまでしなくても…」とかなり引き気味になるのだ。
これがなかなか萌えられないしょうがないおじさんジョエルだ。
秩序が崩壊し不正義がまかり通るような世界では、ジョエルを責めることはできない。
エリーとの旅が「この世界を救う大義」のためだったという事実に対し、ジョエルは「そんなものは別の誰かにやらせろ。もしくはエリーを差し出すくらいなら、この世界の終わりを選ぶ」というスタンスをとる。今まで散々エリーと旅をしてきたプレイヤーにとっても、ジョエルの選択は間違いじゃないと賛同させられる。だが世界はどうなるのか。
「大義ではなく個人」という多くの人に支持されないだろうラストが、今までにないゲーム体験を味合わせてくれた。
プレイヤーの心にも葛藤が芽生え、さらに感情移入していくストーリーは制作者たちの並々ならぬ努力を感じさせられる。
そんなわけで「The Last of Us Part II」は並々ならぬ期待をしているんだけど、事前情報を見る限りエリーを嫌いになりそうな物語に、早くも複雑な葛藤が生まれているのであった。