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恋愛=自己充足 結婚=?

皆さんこんばんはラモスたくやです。

今日は、恋愛と結婚の目標概念について考察したい。
まず初めに、恋愛についてだが、恋愛は自己充足のために行うと考えられる。人生は自己満足だ、それゆえ、恋愛は人生において従属関係にある。すべては人生の満足感に繋がるものであるとも言えるだろう。一方で、結婚は自己充足的な側面をもつものの、社会的な契約を交わす上で責任という言葉も付属することになるだろう。先述したが、人生の満足度につながる行為としての結婚であり、恋愛である。しかし、そこに、結婚によってもたらされる責任という鎖を身に付けるのはなぜか?

責任は、諸個人の人生に満足感をもたらすのか。答えは否だろう。人は元来自由を求める、それも自分にとって都合のいい自由を。しかし、責任とは、その自由の形を他者に委ねることだ。それは人間にとって苦痛でしかないと思う。(そもそも、責任の定義から問い直す必要があり、それ如何では責任というもの自体を等閑視できる。しかし、そこは議論の中心ではない。)

1つの答えとして、責任をおってまで手に入れたいものがある。ということである。それには、社会的ポジション(世間体)や純粋な知的好奇心によるものもあげられる。しかし、人生の哲学・思想がある種確立された状態にある人間にとっては、自身の人生における優先順位を考えたときに、興味はあるが必ずしもしなければならないものという認識はないのではないか?。だから、ある意味晩年になって結婚するというのは理にかなっているようにも思う。自分の人生をある程度やりきったあとに子供をもうけるのだ。

だが、責任をおうことは、必ずしもマイナスであるとも限らない。誰かのためという動機づけは少なからず働くだろう。それは、いきる活力になりうる。つまり、不自由は、自己実現における障壁になるとは限らないのである。

そう考えると、結婚というものは、いつしたっていい気がする。経済的、教育的、時間的な不安は生じるだろう。しかし、結局のところ、一抹の不安はぬぐいきれるものではないのだ。他者との相対化で、一定の優位性をもつころによる気休めは存在するが、結局のところ人間だれしも将来に対して不安を持っている。

人生やってみないとわからない。これが結論だろう。

ps.研究がやばすぎてこんなことを書いている暇はない(笑)ただの頭の整理でしかないが、これも自己満足の世界なので、許してほしい。



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飛行機雲(ラモス)
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