欲しい、の抑圧と母親について。堰を切ったように内側の徒然を記す【100日継続】
ついさっきだ。
書きたい衝動なんかない、という更新をしたばかりなのに、長く書いた。内側を言語で認識して溶解できると確信したからだと思う。そんな大層な確信は無いけれど、身体が動くままに文字起こしをした。
自分の中に違和感があった。
友人のメッセージへの返信だ。
綺麗な住宅街の写真が添付されていたが、場所の特定を防ぐために掲載は写真の一部だけにする。
写真を添付するのは、自分が書いたことを思い出せるようにしてための行為だ。身体に任せて書いていると、なんのことを書いたのか覚えていないと言うことが多いから。
返信をした後、何かモヤモヤが残った。
いつもそうだ。わたしはこんな返信の仕方をしているのだ、
と、わたしの内側が教えてくれた。違和感だったので、感覚を辿ってみた。
ーーー
自分のした返信が、おかしい。
自分の中から出てきた言葉なのに、ひっかかる。
違和感を辿ってみた。
ーーー
いいなぁ、住みたいなあ、欲しいなぁ、と思う気持ちを表に出してはいけない、という怖れと拗れた癖が、ある👧
いいなぁ、欲しいなぁ、などと口に出してしまうと、お母さんが不機嫌になる👧
現実的に無理なのは、お母さんの反応を見たら徐々にわかってくる。欲しいという言葉が、母親を苦しめる。
本当に欲しいものは、自分の身体の動きが隠せずにモジモジしてしまうが、母親が読み取ってくれる余裕が無ければ、欲しいという気持ちが伝わることはない。数秒後には母親に余裕が無いことを察して「欲しくない」と言ってしまう。
そして、自分の心に灯った小さな明かりを、鎮火、消火する。
欲しいと言ったら、自分でやれなどと怒られる。そのテーマに沿ったことでも、全く別のことでも怒られ始める。
怒られて嫌われては、母の子として生きる価値無しと思うのが辛いし、大好きなお母さんが不機嫌になるのは辛い。
母を不機嫌にさせたくなくて、
別に欲しいなんて思ってないよ、
興味ないよ、
平気だよ、
大人の観点で物事を見ているよ、あなたが与えるものに不足があるだなんて思わないよ、
という、
幼児の頭で配慮に配慮を重ねた末の、トンチンカンな回答をしてしまう。その反応が残っていたのだろう。老後も近いような歳になっても、今回のような回答を出力してしまうのだ。
ーーー
欲しいという気持ちに蓋をしまくっていた自分が今更ながらも意識に出てこれたことが、嬉しく愛おしい。
欲しい、と言って良いんだよ、
私には言っても良いんだよ。
そう伝えると頭の中が緩んで涙が出た。
ずっと我慢して緊張してたんだね。
よく耐えてきたね。もういいよ。大丈夫だよ。
ーー
お母さんは、子どもの欲しいものを与えることのできない自分の足りなさを指摘されたように感じてしまうのだろう。それは私も知っている。自分も同じ反応をしていることを知っている。
子どもに何かを与えるのは親だ、という責任の拗れだろう。それもまた、お母さんが自分の母親からしてもらえなかったことの怒りや悲しみの不足感が、そう思わせるのだろう。
本来は親が与えるべきなのに、与えてもらえなかったことへの怒りがあったに違いない。現に彼女はそのような文句を私に聞かせていた。親から何もしてもらっていない、と。
(恐らく戦中/戦後の影響が大きいと思われる。)
親子の反応の歴史をただ繰り返すのは脳がない。
ここまで気づいた私がするのは、親からしてもらった事柄のデータを勘定することだ。
お金や、労力や、その他、私という、彼女の子どもに対して彼女がした「良い行為」を勘定していくことだ。
彼女を評価しようなどすると苦しくなるので、客観的にカウントすることだ。
備忘録として書いておく。
ーーー
完全に、誰へのメッセージでもないけれど、世界のどこか、日本のどこかに私に似た人がいるかも知れないので、その私(のような人)がこの記事を見つけたら、参考になるかなとは思う。
わたしは、私と、私に似た人を助けられるように思うし、そのようにして自己存在を愛していきたい。
そう決めた、と言うと、まだ抵抗がある。そんなことして、出来るのかよ、という「左脳さん」的なツッコミだ。
なんだ、左脳さんか。正体がわかれば一安心。
わからない時が一番不安だ。わかればもう大丈夫。左脳さんのツッコミはスルーして、自分の内側に戻るだけだ。
決めた。
私を助けることで、私と似た人を助ける、わたしを愛する、わたしと似た人を愛する。まずは、できるところから。
わたしと似た人って、母親なのかな。