じぶん(宇宙)に完全に愛されている話【100日間継続・40日目】
昨日は「死ぬかもしれないな、が大事」というクライマーさんの話や、「余命あと5年」を体験した孫正義さんの話が舞い込んできた。
自分がいつまで生きていられるだろうか、などうっすら考えたからかもしれない。疲れがピークだったんだ。
話の前者、クライマーさんのエピソードのような、死ぬ気で狂気を持って生きる、というのはもうしたくない。
話の後者、孫正義さんのエピソードでは、余命5年ならどうしたいかという話で、私も自分自身に問うてみた。
わたしから来た応えは、
『わたしを全力で愛したい、わたしを全力でしあわせにしたい』
だった。
世界中の幸せを思った孫正義さんとは規模感が全く違うことに、エゴ(左脳さん)は恥を感じながらも、
何度問い合わせても、わたしはわたしを全力でしあわせにしたいという応えしか返ってこなかった。
わたしのしあわせ、わたしの笑顔、わたしのじぶんへの愛が、世界まるごとしあわせにできることは、わかっている。
人の為に、と頑張っていた偽の(承認欲の)出所も今ではわかるから、じぶんのためを徹底したい。純度を高めたい。という応え。
こんなに私を幸せにしたいの?めちゃくちゃ愛されてるじゃん、私。
他の人から命懸けで愛されたいと思っていたけれど、命懸けで私を愛してくれているじぶんをみて、宇宙は本当に全肯定で全てをかけて私を包み込んでいるのだなと実感した。
私がどんな気持ちになっていようとも、
何をしようとも、
全て受け入れて包み込んでくれている。
全肯定しかない。
私がどんなに自分を否定しようとも、そんな私をも全肯定しているのだ。
私が体験したいこと全部、潜在的(宇宙に繋がる意識の部分)に思い込んでいること全部、全肯定して、
いいよ、それいいね、そうしよう、
としてくれているのだ。
全部の体験を包み込んでいるのだ。
私が泣いても笑っても、転んでも走っても、全部を愛おしいとただ包み込んでいるのだ。
じぶんという宇宙は、ひたすら大きかった。
それこそ全てを懸けて、私を包み込み、全ての体験をゆるし、受け入れ、認め、愛してくれていた。
余命5年だとしたら、という発想は孫正義さんのエピソードからで、孫正義さんのような大義はわたしからは出て来ないけれど、これも私の役割で、左脳さん的に言うとこんな小さな役だけど、じぶんから愛おしいと思われている。
いのちを懸けて、私をしあわせにする。って言ってるんだ。
ずっと、人から愛されたいと思ってたけど、
じぶん(宇宙)から愛されていた。
気づかなかった。ごめんね。
私、たくさん愛されるね。
参考までに孫さんの話↓