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瞑想の道

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真我を探究する瞑想において、自らの内に真我を実証していく。それは知識と瞑想が重なり合って深遠なる真我を理解する道。
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2024年5月の記事一覧

瞑想の道〚14〛自我の放棄

 真我探求において、自我というものは頼もしい味方であると同時に、厄介な敵となる存在だ。自我はあらゆるものに興味を持ち、それについて理解しょうとする性質を持っている。そうすることで、自分は知っているという満足を得たいのだ。その興味の対象は世界のみならず真我でもあり得る。好奇心旺盛な自我であるからこそ真我に興味を持ち、それを知るために瞑想をし、その本質に迫ることができる。だが、真我のすべてを知るためには、真我自身になる必要がある。外から真我を眺めているだけでは、その本質を真に理解

瞑想の道〚13〛悟りの解釈

 悟りという言葉は多分に曖昧さを含んでいる。長く瞑想の道にある人でさえ、悟りについて上手く説明することができない。それが説明できなのなら、悟りへと人を導くことも容易ではない。言葉は空回り、いったい何を言っているのか分からない状態が続いてしまうだろう。悟りとは何もない無の状態や空意識のことだと説明する人がいるかもしれない。だが、それはまだ悟りではない。その状態を長く保ち、いわゆるサマディの経験があるとしても、それもまだ悟りではない。そこには誰がその無や空意識を観察しているのかと

瞑想の道〚12〛自我の成熟

 悟りという言葉を知っていても、それが何を意味するのか知っている人は少ない。悟りとは真理のことであり、その真理とは自分が真我であるということだ。そう言われても、ほとんどの人はピンとこないだろう。自分には縁のないことであり、他人事のように話を聞いて終わりになる。それよりも、この世界で何を楽しみとして、どのような人生を送るのかが最大の関心事だ。多くの人はできる限り楽しく、充実した人生を送るために、人間関係や財力を高めることに注目し、個人として評価され、健康な肉体を持ち、誇り高く生

瞑想の道〚11〛真我の真実

 真我は特別なエネルギーの類ではない。もし何がのエネルギーであれば、それは真我ではないということだ。真我にはエネルギーがない。それは完全に静止していて、一切のエネルギー活動が行われていない。その状態を確認することができれば、それが真我だ。真我はエネルギーがない必要がある。もしそれがあるのであれば、真我によってつくられている世界は根底から歪んだものになってしまうだろう。世界の基盤としての真我は、静止していてエネルギーがなく、つまり何の性質もなく、姿かたちさえない必要があるのだ。

瞑想の道〚10〛真我と世界

 世界の動きは予測できず、制御することもできない。そのため、自我は世界に苦しめられることになる。世界は自我の願いを叶えることなく、思い通りに事を運ぶことに障害をもたらす。自我には様々な問題が降りかかり、その対応で心身は消耗していく。自我は何度も希望を失い、自分の存在に虚しさを感じる。そんな自我にとって、真我を悟ることなど何の意味もないと思うだろう。自我にとっては、この世界で願いが叶い、物事が問題なく円滑に進んでいくことが大切なのだ。そうなれば、自我は幸せであり、人生は希望に満