
93歳の現役新聞記者涌井友子さんの人生と見識に敬服する
1月5日(日)NHKドキュメント20min.『93歳の新聞記者』を視聴した(2024年6月24日の再放送 )。たまたまスイッチを入れたらこの番組が映し出されたのは、偶然ではない気がした。
涌井友子さんは中野区のローカル新聞「週刊とうきょう」(月2回発行)の現役記者である。創刊した夫の遺志を継ぎ、93歳の今も自分の足で取材し、執筆している。次女の久美子さんが誌面制作をしたのち、必ず4回の校正をする。40年にわたるライフワークである。
中野区の柔道大会での取材の様子が映された。負けた少年は悔し泣きをする。指導者に促されて道着の袖で涙を拭いながらも対戦相手に頭を下げる。応援したい気持ちがあっても客観的に事実を書く。文章は短く、わかりやすく。
10年ほど前まで13年間にわたって難病患者支援のボランティア団体の広報誌を作っていた。隔月で400〜800部ほど、B5版ページの小さな冊子である。内容は患者支援イベントの告知や報告を中心に、厚労省や自治体、医療関係者からもたらされる情報の広報、患者さんの闘病体験記など、団体の活動に関すること全てを網羅する。
患者家族である古くからの友人が長年制作していたのだが、時間が取れなくなり、声がかかった。その難病のことは全く知識がなかったが、数か月勉強して決心した。社会に貢献することが何もなかった自分にこういう話がもたらされたのは、神の計らいなのかもしれない、断ってはいけないと思ったのだ。
当初は手書き原稿、手書きの割り付け、写真もプリントで入稿していた。知識不足が不安で、決して間違った情報を載せないように調べた。数年後、PCの普及が目覚ましくなり、インターネットの端末としても大いに使えるようになって、制作をPCに移行することができた。
一番心掛けたのは、涌井さんと同じく簡潔で客観的な文章であること。その難病は当時治療法も確立されておらず、先進的な治療が成功して喜ぶ患者さんがいる一方、命を落とす患者さんも多かった。どの立場の読者が読んでも誤解のない表現をしなければならない。知り合った患者さんの訃報を聞いて、あんなに頑張っていたのにと思って泣きながら原稿を書いたこともあったが、事実だけを伝えるように努めた。
取材、原稿、原稿依頼、割り付け、校正、発行を全て一人でやってチェック機関がないので不安で仕方がない。基準は自分の矜持だけだった。校正は何度も繰り返したが、それでも発行後間違いを指摘されることがあった。何度も見直したんですけど、と言っても、間違いは間違い。ささやかな広報誌であっても、全国の支援団体、自治体や病院、少しでも情報を得たいと思っている患者さんも目にすることを思えば、言い訳は意味がない。
杖をつきながら涌井記者は、生涯をささげた道を歩んでいる。足元にも及ばないが、同じように原稿を書くときに肝に銘じていたこと、責任と緊張感を思い出した。
仕事は人を成長させる。絶望や悲しみを乗り越えて生きる人、乗り越えられずに力尽きる人、新たな希望を見つけて歩み始める人と出会った。挑戦してみなかったらきっと「ものを思わざる」人生だった。