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不登校って何だろう。親の目線で思う事。~一番必要なスキルって?(ウチの場合)~

「自分でなんとかできないと恥ずかしい!?」
小1から五月雨登校。今、小6の息子。
闇バイトのニュースを聞いて息子が言った。
「この人たち(容疑者)相当追い詰められてるよね。こういう人を支援すれば
 犯罪が3/1位に減るんじゃないの?」

たぶん、困った人たちへの支援はあるのだろうと思う。
質も量も足りなかったとしても。
だけど、「自分を助ける為」の情報を得ることや利用することへの
”壁”のようなものがあるのではないかと思う。

不登校の居場所などで知り合いになったママ友たちと話していて、”不登校で困っている人へ情報が届いていない”と思うという話になることがある。

自分たちも現在進行形で困ってはいるけれど。
”話をできる場所”があって、知り合いのママ友もいて、公的機関に相談にも行けている。

だけど、子どもが学校へ行けないことで「もう、この子の人生は終わりだ」と悲観して追い詰められている人がいることを想像していたたまれない気持ちになることがあるのだ。

だから、私は少し余裕が出てきた人たちと一緒に、不登校の子が過ごせる居場所の情報を作って公民館などに置いてもらったりした。

そこまでした辺りで…。こんな話になってきた。
「でも、公民館とかに出入りしている人は情報を取りに行ける人なのよね」

「本当に必要なのは、公的な場所にいけないような人かも」

「じゃあ、学校から渡されるとか情報が手元にあれば利用するかな???」

「しないかもしれない‥‥。”身内の恥をさらしたくない”みたいな心理ない?うちの子はそこまでじゃないみたいな。」

みんな行っているのに学校にいけないなんて”みっともない”みたいな?

私もこのナゾの「恥ずかしい」と思ってしまう意識に人生をジャマされてきた気がする。
恥ずかしいって言っても、本当の意味での「恥」ではなく。
「失敗したら恥ずかしい」
「こんなことも知らないの?って思われたら恥ずかしい」
「(みんなと同じでなくて)目立つのは恥ずかしい」

「こんなこと位自分で何とかできなきゃ恥ずかしい。みんなやっているんだから」

この「恥ずかしい」が助けを求められなくしている”壁”なのでは?

「必要なのは頑張ることなのか?それとも?
だから、いつも思う。犯罪を犯してしまう人の中には、
「頑張らなくちゃ」「頑張らなくちゃ」って周りに助けを求められずに。
1人ぼっちで孤独を感じながら頑張って。
「もう無理だ」「誰も助けてくれない」って追い詰められて、
悪いことをしてしまった人もいるのではないか?

息子が通っている小学校の担任の先生や関わってくれた先生たち。
意見がどうしても合わない先生はいても、いかにもやる気のなさそうな先生はいなかった。
むしろ、一生懸命。
身を削るようにして頑張っているようにみえた。

でも、そんなに頑張らなきゃいけないから。
どうしても、それを子どもにも強制してしまうんだよ!とも思った。

「今、できないと。今頑張れないと社会に出てから困りますから‼」
と小1で言われた。
正直、私はあっけにとられた。小1で社会に出た時の心配?
それがその先生にとってのリアルな感覚だったのだろう。

だけど、私にとってのリアルは今、息子の心が追い詰められている事だった。
自分を追い詰めて助けてくれない先生を恨む息子の気持ちが怖かった。
先生に向かう敵意のようなもの。
直接、ぶつけられない敵意が自分より弱い者に向いた時。
息子はいじめる側に回るのだろうと思った。

もちろん、集団の中で学ぶことも大事、
言われた事を理解し実行できる力も大事。

だけど、息子が一番最初に身につけなければいけないスキルは、
相手に分かるように状況を説明して、どんな助けが必要なのか
伝える」
スキルだと思った。

そのスキルを息子が習得するには時間がかかる。
1.自分が困っている事を自覚する。
2.伝える相手が分かる。
3.相手に伝わる言い方ができる。
4.伝えるタイミングが分かる。

小学生のうちに練習してもいいではないか。
それも、学習ではないのか?
大人の私も、自分の悩みを自覚できないときがある。
それで、イライラしたり八つ当たりしたり。
モヤモヤしたものを話していく内に、問題の輪郭が見えてくることもある。

大事なのは、ヘルプを出して自分の居心地をよくしながら、
自分の力を活かすことではないだろうか?

頑張ること自体が悪い訳ではない。
だけど、先生の得意なポジションについて欲しいと(勝手に)思ったことがある。

細か過ぎる注意で子どもが委縮してしまうような先生も、世界遺産の事などステキな知識がある。
ある授業はすごく面白いらしい。
その得意な分野の授業の専門の先生というポジションがあってもいいのでは?とか。

ちょっと厳しすぎる昭和な対応をしてしまう先生も、すごく勉強熱心。
指示は分かりやすい。
そして、息子を見て「この子は数学的な何かがないと絵が描けないのかもしれない」と言ってくれた言葉はものすごく今も役に立っている。
子どもの特徴を見抜く力がすごいんだな。それが活かせるポジションがあればいいのに…と。

あくまで、印象だけれど。
先生たちって、緊張感いっぱいで、少し孤独だなって思う。
休みの日に道端でおちおちアイスも買い食いできない💦

みんなみんなもっと、自分を活かせればいいのに。
弱みを見せながら相談しながら協力しながら、
おもしろいものをみつけて、思い込みを乗り超えて、
それぞれが自分の力を活かす、そんな世の中ににならないかなー!と
きょうも思う。

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