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不登校って何だろう?親の目線で思う事。~それは本当にわがまま?~

「わがままじゃなく」
低学年のときに、息子は給食の器を割った。
友だちに急に声を掛けられてびっくりして落としてしまった。

先生は、給食室に謝りにいってほしいことを丁寧に何度も伝えたそうだ。
でも、息子は納得がいかず、そのまま謝りにいかなかった。
そんな、息子の様子をその時の担任の先生は
「自分で割った事が受け入れられず、謝れなかった」と
私に伝えてくれた。

・自分のせいではないのに謝りたくない。理屈のとおらない事はいやだ。
 息子としては、急に声をかけた友達が悪いと思っているから、
 自分が悪くないと思っている。
・びっくりした自分の状態に精一杯。
 
こんなにびっくりさせるなんてヒドイじゃないか。

ひどい責任転嫁な言い分にみえるけど。

器を割ったときの息子には、
とにかく余裕がなかった

器が割れて大きな音が出た。
大きな音は怖い。
ドキドキしている。

さらに、
この状況をどうしたらいいのか分からない。
拾いたくても、まだ、両手でお盆をもっている。
パニック!
そこにさらに、先生が何か言ってくる。
「無理!!考えられない!!ぼくはいまとっても大変なの!!!!」
「それに、ぼく、悪くないよね?驚かすのが悪いんだ!!!」


私が一緒にいるなら、まず私が謝ればいいんだろう。
なぜ、謝るのかもそのたび説明したらいいんだろう。

そう思って、
同じような場面に遭遇したら息子のショックに共感しつつ説明し、
相手には謝ってきた。

でも、自分はなんとなく謝っていたりするので
説明がむずかしい。

いかに自分が適当に人に接しているのかがよく分かる💦


「余裕が出てきたみたい」
小1から五月雨登校。今、小6の息子。

最近、私が息子の受診の日時を忘れてしまったことがある。
カレンダーに書き、グーグルカレンダーにも入れ何度か確認するのだが、
それでも用事が多くなると忘れてしまう。
もともとキャパが少ない。

「あー。忘れてたあ💦今日、受診の日じゃん。ごめーん。」焦る私。
「なになに?あー。そうだったか。いいよ。ほんとにいいよ。大丈夫だよ
 ほんとに謝らないで!!」と息子。

病院に電話して、日時の調整をするが、
「そうだな。この日よりこの日がいい。でも、まあどっちでも大丈夫」
と息子。

おおーっ✨すごい。

こんなやり取り、あたり前と思うかもしれないが。
・相手の都合を考えられている
・相手の気持ちを考えられている
・予定が変わっても受け入れられている。

私にとっては、息子の成長のあかしに見えた。

それでもまだ、私や夫が「今のはこういう意味だったと思うよ。」とか
「相手はこう思ったと思うよ」と伝えている。
でも、これから少しずついろんな人の捉え方を聞いて、自分なりの答えを見つけて欲しいと思う。

必ずしも謝るのがいいのか?というとそうではないかもしれない。

摩擦をさけるために謝る事で、深く話し合う機会を失っている事もあるのかもしれない。

「なんとなくあやまるを説明しようとすると…」

息子は、理屈に合わないことが大きらいだ。

・悪いのは誰なのか?きちんと状況が知りたい。話し合いたい。
・あやまる相手は本当にこの人なのか?
・ルールがあるなら、どんな理由でそのルールができたのか?
 (ルールが理屈にあっているのかも気になる)

ちょっと何かを落としてしまっただけで。
ちょっとぶつかりそうになっただけで。

いちいちそんなことを話し合うのはメンドクサイし、現実的ではない。

でも、理屈に合うのか?という視点は悪くないと思う。

なんとなくあやまっておく。
そのなんとなくを説明できるだろうか?

なんとなくの中には、
人からどう見えるのか? 
(年上の子が年下の子に対して理屈を言って泣かせてたら、弱い者いじめに見えるよね)とか。
・理屈どおりに、気持ちは動かない
とか。
・集団によって、常識みたいなものも変わっちゃうから、
 絶対の正しさなんてあるのかな?

とか。
重要なことでなければ、相手が怒っても面倒なだけだから(あやまる)。
とか。

ルールだからと従っていても、
そのルールは弱者や正しい人を守るようにできているとは限らない。
(と思う。)

自分の心と頭と照らし合わせて、
正しいか正しくないか?
理屈に合っているのかいないのか?
を厳密に考えようとしてしまう性格は不便ではあるけれど。

「これおかしいんじゃない?」とこだわれることは、
強味にもなり得ると思う。
そんな自分と息子がうまく付き合っていけるようにと願っている。







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