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【小説集】

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自作の小説をまとめています。おやすみ前のひと時に読んでもらえたら嬉しいです。
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#掌編小説

【掌編小説】 『さくら』

 母が心臓の病気になって手術を受けた。  父が僕たちの元からいなくなって十年、ずっと働き通しだった母。どんなに朝から晩まで働いていても「大丈夫」としか言わない、そんな母が何週間も病院のベッドに横になっている。  母が働くのはほとんど僕のためだ。地元で有名な進学校に何不自由なく通わせるため。二年後には大学にだって行けるようにさせるため。自分のことはいつだって二の次で、僕のことをとにかく母は優先させた。 『大学なんて行きたくない。先が見えない、自信がない。母さんのために何かしたい

【掌編小説】明けのまほろば

 クウクウと可愛らしい鼾をかいて、妻が隣で眠っている。  不意に目が醒めてしまってしばらく布団の中で呆けていた。  妻の無防備な横顔に微笑む。  すっかり冴えてしまった頭を持ち上げ布団から抜け出し、窓際の椅子に腰を下ろした。  群馬県は奥四万の山間に、朝陽が昇り始めていた。山の稜線が暁に染まり、朧な青空を濃密な雲の群れが流れていく。ほう、と一つ、僕は息を吐いた。  昨晩、部屋の明かりを消し、布団に潜り込んでしばらくしてから妻が囁いた。 「ねえ、やっぱり子供、欲しい?」  静

【小説】コトノハ

 1  言葉という奴は時として、本当に無力なものだと思う。  困り果てている人に近づいてきて、『どれどれ、私がズバリ言い当てて差し上げましょう』などと遠慮なしに嘯いてくる。まるで胡散臭い占い師みたいに。  ドンピシャに言い当てられたら、そうそうまさにその通りですお見事パチパチと拍手喝采して差し上げたくもなるだろう。けれども、だ。満面ドヤ顔全開で言い放たれたその言葉が、こちらの渇望していたそれに全くと言って良いほどあてはまらなかったとしたら。これじゃない、欲しかったおもちゃは

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【小説】奇跡 ①

 皇歴1942年暁の月。  アラバキエル宗主国は、隣国イビジスダン皇国との十数年にも及ぶ長い戦争状態に終止符を打つべく、全兵力をイビジスダンの首都イビシャに向けて進攻させた。  不退転の覚悟で街道を突き進むアラバキエル軍に、イビジスダンの兵達は恐れをなして後退を始めた。日に日に戦意を喪失していくイビジスダン兵。そのような前線の戦況を受けたイビジスダン側の大本営は、わずかな兵力を敵地に残してそのほとんどを首都に戻すよう各地の戦線に伝令を派遣した。  皇歴1942年眠りの月