追記♥「女という性を受け入れ愛して生きてきたけど…」の記事に書ききれていなかったすごい大事なこと。(反省)
一生懸命書くことと、ちゃんと伝えられてるってことは別のこと。
さっき読み返してたら最後に
って書いてて
「あ、チガウチガウ、違いすぎる!そうじゃない。」
って思ったので追記。
私は「甘ったれなくせに肝心なところで人に甘えられない」という超迷惑な悪癖を長い間持っていたから結構長い間人生こじらせてて(涙)
そーんなめんどくささ極まりない私の人生が大きく変わった要因のひとつが、「女同士」の関係性や時間を心底楽しめるようになったこと。
で、女同士を楽しめるほど女性に心を開くことになった理由こそが女である自分自身の存在があまりにしんどすぎて、「辛い、もうやだ、悔しい、やめたい」って泣いたこと。
当時、思わず崩壊してしまって
ほんとは私はその場から消えていなくなりたいくらい恥ずかしかったんだけどまわりの女性たちは
「わかるわー!わかるよ。わかる。」って
ただただあたたかくて
ベタベタまったくしていないどころか
サバッサバしてるのに優しくて、
とても心地よい距離感で
「全くの他人だけど全くの他人ではない」
という不思議な感覚の中、私は
「自分を飾らずまっすぐ素直でいる自由」
を全世界に許された気持ちになったのでした。
そんなこと誰にも言えない、というか、わざわざ言うほどのことですらない、って思いがあたりまえにあった時代のことね。
今よりも「所詮女は」「女だから」ってあたりまえのようだった頃。
…にしても!!
女性に本当に心開けたワケが、女としての自分のしんどさを抱え切れなかった、っていうのがなんともほんとに辛いとこなんだけれども
女系家族のヒエラルキーの中で負け組だった(と信じ切ってる)母に"男は敵、女はもっと敵、人を信用しちゃいけない"って信念を何かにつけてじわじわ植え付けられて育った身としては、どんな理由であれ人前で本当の弱さをさらけだしてしまったことは自滅行為だった。
それがこともあろうに、自分が根底から許された気がしたうえ、私の女性不信はすりこみでフェイクだったってわかっちゃって幸せになれたんだから
人って不思議だなーって思うのです。
という過去があって、の、あの記事。
で、この前も違う意味でほんとにほんとにほんとに悔しすぎてしんどすぎてぼろ泣きしたのですが、聞いてくれた女友達が男前すぎて。
昔のあの優しさのことも思い出して
最後なんかあんな感じになって
違う意味の文章になっちゃったから。
あの時もしも苦しくなかったら、悔しくなかったら、私はまだ今「根底ではちょっと女子怖いままの人間」だったかもしれない、
そっちのが怖い!(笑)
あの時、ちゃんと苦しめてよかったな。
心開けてよかった。
って話だったのー!!
男女かかわらずみんないい距離感で、みんな思いやりがあって、みんな優しいしみんな楽しい今だけど
女同士ってやっぱなんか特別なんだよね♡
ってことをさ、まぁ書きたかったわけです。
そうなのよ。特別なの、女子同士。
同士、って、同志だよなと思っちゃう♫
ってことで、女同士、苦しみでつながってるとかいう話じゃまったくない!
全然そっちじゃなくて
みんなで笑ったり楽しんだり、幸せでいようね!
困ったことはいくらでも解決できる、だってひとりじゃないから!
だからみんなでつながって、色々、これできるよ!あれわかるよ!ああ、これは今大変かもしれないけど、必ず大丈夫って言える日が来るんだよ、だから大丈夫だよ!とかね、そういうふうにやりながらうんと元気に生きていこう!
って、書きたかったんでした。
だからこれは追記。
併せて読んでもらえるとサイワイです。
よろしくおねがいします。
ソラハナ。