MSBP #責める母
『膀胱尿管逆流症』
腎臓で作られ排出される尿が弁の異常により逆流する。
その弁の形成不全を指す先天性の病。
私がこの病気だったと知ったのは実に最近で、母からはずっと『腎盂腎炎』だと聞かされていた。
腎盂腎炎とは、例えば膀胱炎などで腎臓に菌が入り炎症を起こす病気。
尿が逆流していた私は確かに腎盂腎炎も起こしていたのだろう。
いつごろからか私は高熱を出すようになる。
熱が無ければ普通の子と変わらないが、ひとたび熱が出るとその体温は40度を超えようとする。
覚えているのは拷問のような治療を何度も受けたこと。
そして母の言葉。
「あんたが不潔で汚い子だからばい菌が入って病気になったのよ!」
その口調は強かった。
私は罹患したことに罪悪感を持った。
同時に闘病への不満を感じざる得ない年頃で、答えの出せない感情の間に置かれていた。
「『私』が死んじゃう!」
あなたのママはそう言って泣いていたのよ。
後年、母の実姉である伯母が私に言った。
記憶の中の母は私を責める。
「私がどれだけあんたのためにお世話してやってると思うの」
「あんたのせいでお兄ちゃま達がどれだけ寂しい思いしていると思うの」
「あんたのおかげで皆がいろんなことを我慢しなきゃいけないのよ」
「あんたがいい子にしないから治療がうまくいかないじゃない」
拷問のような治療というのは尿道に管を通す処置。
尿道への挿入は麻酔無しで行われ、拷問に等しい苦痛を伴った。
両手両足を力づくで押さえつけられ泣き叫びながら処置を受ける。
そうして施される処置は失敗した。
排尿すると管を通らずに漏れてしまう。
医療ミス。
再度私は泣き叫びながら処置を受ける。
また失敗、、、
失敗が判明し病室から誰も居なくなると母が溜息をつきながら言う。
「あんたがじっとしとかないからまたやり直しじゃないの!」
母が不憫に思っていたのは先天的な不具合を持った私ではなく、苦痛を伴う処置に耐える私ではなく、高熱で意識朦朧となる私ではなかった。
余計な手間のかかる子の世話をしなければならない自分が不憫なのだ。
先天的な病を私のせいだと責める。
それは母の本心なのだと今は思う。
母は大変だったのだろう。
繰り返す入退院、自宅で発熱すれば病院へ連れていき、兄達のお世話に家事に夫のお世話に。
そしていつものように思ったのだろうか。
なんで私がこんな目に!と。
そんな母は第三者がいると様変わった。
娘を不憫に思う心労の絶えない健気な母親へ。
医者の前、親戚の前、母方の祖父母の前、同じ病室の他人の前ですら。
この頃も、この先も、母が私に心無い言葉を吐くのは決まって第三者が居ない時。
心ある言葉で励まされた記憶は無い。
私に与えられたのは、おとなしく言うことを聞く引き換えに渡される病院の自販機で買う紙パックの苺ミルク。
私は嬉しそうにそれを受け取る。
母親とはそういうものなのだと思っていた。