透明の写真
実家のリビングの壁にはたくさんの写真が貼られている。
昔からそうだったわけではなく、むしろ写真を飾る習慣は無かったというほうがしっくりくる。
あるとすれば、仏間に安置された先祖代々の遺影。
長兄の結婚を切っ掛けに母によってそれは始まった。
長兄の結婚写真を真ん中に、その後生まれた孫の写真。
皆で写った写真。
帰省の度に増えている写真。
父と母と長兄夫婦と孫の写真。
その中に1枚だけ次兄が一人で直立している写真が混ざっていた。
壁に余裕がなくなり、次いで写真立てが増える。
写真立てに収まるのは両親と長兄家族。
一緒に写っていれば次兄も時々。
長兄が結婚して約10年後、私は絶縁した。
その10年間、私の写真が飾られることは無かった。
10年、帰省の度にどこかに自分がいないか探した。
その間に私は結婚した。
私の結婚写真、そして折々一緒に撮ってきた写真が飾られることは最後まで無かった。
小学校の頃に宿題で『皆さんのアルバムを親に見せてもらいましょう』というものが出された。
家に帰り母に宿題を伝える。
母は片づけられない人だ。
棚の隙間に無造作に重ねられた束から勝手に見ろと言う。
ワクワクしながら自分のアルバムを探し、そして開く。
そこには写真の束が挟まっていた。
ページは空白だ。
他のアルバムを見た。
きれいに貼られたアルバムがある。
長兄のものだった。
他のアルバムも見た。
同じように束の写真が挟まれた次兄のアルバム。
「なんで?」
私は問う。
母は当たり前のように答える。
「『長兄』のはちゃんとやったんだけどね」
私はアルバムを閉じ、以降見ることはなかった。
漠然と、写真というものに抵抗ができた。
翌日の学校では先生に指されたらどうしようという不安で頭がいっぱいだった。
周りの子達の元気に発表する内容が、自分の動悸でうまく聞けなかった。
結婚式で使う写真を選ぶため、あのアルバムを再び開いた。
あの時と同じ、束のままの写真がそこにあった。
何かを思ったのだけれど、当時はまだ呑み込むことができた。
今はもう呑み込めないけれど、その時何を思ったかは思い出せた。
母の目には長兄以外が全て透明だ。