海田の迷いは、空田の結論。
はじめに
人間が二人いる、ということは様々な違いがあるわけで、
比較的正反対な空田と海田はあらゆる面で全く違う感じ方をしております。
一緒に何かをする上ではその認識を互いに明確にしておかなければならない。そこで我々にとっての解決策をちらと述べてみたいと思います。
「迷い」をどう受け取るか
・空田(Simple)
空田はそもそもあまり「迷い」がない。
基本的にその場でパッと決まっていることが多い。
「けれど、でも、だって」という接続詞が存在していないのか。
海田が迷っている=yesではない。という認識。
つまり、そのことについては今は一旦ストップ、という結論。
・海田(Complicated)
基本的に全てにおいて迷う。
「けれど、でも、だって」の常習犯。
迷い=YesではないがNoでもない。という認識。
二人でやっている以上、自分のせいでストップさせるわけにはいかない。
迷いはキープしながら進めていく、という結論。
*ちなみに現在は少しずつSimpleに…
「迷い」に対する結論の違いから生まれる悲しみ
海田としては迷いながら進めているので、なかなかのストレスである。
そのストレスと共に頑張って進んでいるのに(重い荷物を背負って山を登り続けているイメージ)
ふと振り向くと空田は完全にストップしている(リュックサックを降ろして座り、お茶しているイメージ)のだから(ちょっと大袈裟)
海田としては「何故?!!!!」となり悲しみもさらなるストレスもそれなりに生まれるのである。
とはいえ、そもそも、あれこれ、海田よ。
そもそもの話、ストレスを抱えながら進んでいることが問題なのである。
迷っている時、人は「めちゃくちゃ元気!」な状態ではまず無いだろう。
そんな状態を抱えながら悩み続けながら進んで、ナイス!な着地点にいくことなど、まず無いのではなかろうか。
「迷っている」という状態がまずは立派な着地点。
そこから、「迷い」の原因を一つ一つ出していくこと。(恥ずかしく無いんだぜ、勇気を出してファイトだ海田!)
それさえ出来れば、ほとんど大丈夫なのだ。
調べたり、感じたり、一つ一つ解決すれば良いだけ。
時間をかけてしまった、相手を待たせてしまった、私のせいで、
という思いを抱えたまま進むよりもよっぽど健康的で明確に前進できる方法だと成長した今は思う。
我々の解決策
とにかく全てを書き留める(視覚的)のだ!ということの大切さを知った我々。
それは具体的に
・その日話し合うべき内容を箇条書きで
・箇条書きごとにその日の結論を明確に
・箇条書きにないものでふわっと話題に上がったものも、
その日のその時点での着地点を書く
これを口頭ではなく、二人で視覚的に確認する、というのが
ものすごく大切で有効な方法だと思っております。
ちなみに我々はNotionを使って行なっています。
(Notionは素晴らしすぎるのでいつか空田がご説明します)
海田のつぶやき。
空田がパパッと選択していく一方、
自分はいつもウジウジ悩むのが常であると、
まぁなかなか自分が嫌になってくる。
それにプラスして急がないと、という気持ちも湧いてきて苦しい。
けれども。
別に罪ではないよな。そうなっちゃうんだもの。と捉えてみた。
すると、ウジウジでいることの葛藤よりも、何故ウジウジなのか、に意識が向くようになった。
そうしたら、気になること、引っかかることを少しずつ空田に話せるようになった。(最初はこれもすごく勇気のいること)
そんな成長が嬉しすぎてを自分を褒め称えていたら、もっと褒められたいと、今度は頑張りすぎて泣きたくなってしまった。(極端)
どれもこれも、無理をしなくていいのだ。
海田が楽になるために、海田の声を聞くのだ。と今改めて自分に言っておこう。
そこで。
「海の声を知りたくて〜」みたいな歌があったと思うので、本日をもって海田のテーマソングにしたいと思います。
(*歌の始まりは「空の声を聞きたくて」でした。いつか空田に歌ってもらいましょう。)
(文責: 海田)
記事を読んだ空田の一言二言。
投稿前に一読した際、2人の対比が面白くてケタケタと笑っていたけれど、海田の心情を想像するととても大変そうで、日々頑張っているのだなと感心。
自分の感じていることを共有することは貢献することだとどちらも思えているといいな。それはアイディアでも迷いでも同じことだと思う。
早い段階で立ち止まることは、手戻りの少ない最速解の気がする。
話し合いの場がお互いにとって安全な場であることは大切だなぁ、と改めて思う。それはどうしたらできるのか。互いへの信頼だろうか。まだまだ学ぶことがたくさんあるんだな。
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