見出し画像

スウェットロッジセレモニー その2:自分が自分の応援団長になる


どうにも手をつけられない、荒れ狂う子どものような存在が、誰の内側にも、いると思います。

私が学んでいるキャラクトロジーでは、この存在を、傷ついた子どものローワーセルフ、と呼びます。

この存在とどう対峙すればよいのか、どう治めたらよいのか

私たちのほとんどは、その子との関わりかた、その子の導き方を教わることなく、傷にフタを重ねて、大人になっていくような気がします。

自分の中のローワーセルフをいかに受け入れ、変容させていくか。

今回のスウェットの中では、その存在の受容と変容を、ただひたすらに祈っていたような気がします。

ジャッジメントにさらされてきた痛み。
信頼やつながりを失ってきた痛み。
痛くて
悲しくて
絶望している小さな私がいました。

いや、私は信頼やつながりを失った、奪われたのではなく
私が、信頼やつながりを絶った。

切り離したのは私、だったのだということが

キャラクトロジーを学んできて、冷静に見えてきているところです。

小さなこどもの誤解とはいえ、それだけの、耐えきれない痛みがあったということを受け入れ

そこに触れていくこと、丁寧に、一歩、一歩、手を伸ばしていきたい、というところにいます。

スウェットのなかでは、祈りの歌をうたいますが、これが私の抵抗のひとつでもありました。

そんなの歌えない、
大きな声だすの嫌だ、
などなど。

しらけてしまう、私がずっといたから。
抵抗でした。

でも、自分の祈りにつながって、自分のために立ち上がろうとするとき、声は出そうとしなくても、湧いてきました。

葛藤やジャッジメントを同時に感じながら。

その下へ。

本当の私の望みへ。

そこにつながりたいという思いに、突き動かされるように。

刺すような、切るような、押し潰すような、厳しく痛いジャッジメントを超えて、震えながらも、自分のために声を出していったとき

まわりの参加者の方々の歌が、私への応援歌に、聞こえてきました。

はじめてのことでした。

私は、応援されている。

みんなが、私を応援してくれている。

わたしが一番恐れているその場所で。

世界は危険
人は敵

私の世界観に、新しい風穴が空き、祝福に包まれたような気がしました。

自分が自分の応援団長になったとき

見えてきた世界。


ワークのなかで
スウェットのなかで

今、私は何を感じているのか

今、自分に何が起こっているのか

自分の内側をみること

そのやり方

その前の、あり方

自分に寄り添い

耳を傾け

愛を向ける

自分を癒す

そのための智慧

5年ぶりのスウェット
出会って5年目のキャラクトロジー

今までキャラクトロジーで学んできたこと、教えてもらったこと、体験してきたこと、すべてがあって、見えてきた世界でした。

そして、このスウェットロッジで起きたすべてのプロセスが、自分で起こしているのではないこと

大いなる何かの働きによって、もたらされたということに

涙がとまりませんでした。

すべてのプロセスが、大いなる流れのなかで、人の人智を超えたところで動いている。

日常のなか、ときに薄れてしまいそうになるけれど、このことを感じる場所
いつもどこかで、つながっていたいな。。と、感じています。






いいなと思ったら応援しよう!